主人公が望む「ぜろ」とは?

いこう
ぜろになって あなたに会って
裸になって 笑いあって
素直になって 打ち解けあって
誤解もあって 世界が回って
ぼくが好きなのは
損でも 不器用な幸せ探す人

出典: ぜろ/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー

「ぜろになる」ことで生まれる幸せが綴られています。

ところで「ぜろ」とはどんな意味なのでしょう?

数字の「ぜろ」はどれだけ足しても、引いても、掛けても、割っても、「ぜろ」のままです。

そこに「ぜろ」以外の数字が足されることで、どんどんと複雑化していきます。

これは人の心理とよく似ているのではないでしょうか?

飾らない素直な状態が「ぜろ」

無理をしたり、歪んでしまった状態が「ぜろ」以外の数字だと考えてみましょう。

「ぜろ」同士がぶつかり合っても、物事が複雑化することはありません。

ところが、「ぜろ」以外がぶつかり合うことで、物事はどんどん複雑化していきます。

ヒートアップすれば争いすら生まれてしまうことも…。

この楽曲で表現している「ぜろ」は争いのない平和な心です。

まっさらな心で純粋に向き合う事ができれば、きっと明るい未来が開ける気がします。

「数字の服」なしで向き合う

偉い人だって 凡人だって
くだらない奴は くだらなくて
有名だって 知らなくたって
素晴らしい人は 素晴らしいんだよ
打算は無しにして 君と遊びたいんだ
数字の服を脱いで

出典: ぜろ/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー

ここでも、物事を色眼鏡なしで純粋に受け止めることを歌っています。

いつの間にか「ぜろ」以外の数字を身にまとうようになってしまった人々。

そんな鎧ともいえる「数字の服」を取り払って、心を通わせ合おうと促しているのだと思います。

重たい服を脱ぎ捨てれば、きっと心も軽くなるのではないでしょうか。

誰もが試行錯誤して生きている

「理想」と「現実」

そんな綺麗ごと 言っといて
現実は 理想から遠い日々
やるべきこと考えて
やるしかないだけなのに
あの子は頭が悪いから
忠告が悪口に聞こえたの
中途半端に頭がいいから
ひとりだけで生きてると
勘違いしたの

出典: ぜろ/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー

ここまでの素敵な思想を「綺麗ごと」と吐き捨ててしまいました。

この「夢オチ」のような展開こそピノキオピーの真骨頂

彼の表現には「皮肉」な要素が多く、いい意味で期待を裏切ってくれるのです。

「理想」を掲げたって実際はそう上手くはいかないよう。

倦怠感に襲われて何も実行できない…。

他人の意見を理解せず「批判」だと思ってしまう…。

「自分が正しい」と思いすぎて独りよがりで生きている…。

十人十色、様々な考え方や生き方がありますが、本当にまっさらな思考で生きるのはとても難しいと思います。

誰しも少なからず認知は歪み、気が付かないうちに取りこぼしているのではないでしょうか。

「正しさ」を求めるあまり

ハウツーいろいろ学んで
はみ出すことを
恐れていました
良し悪しイコール数字の
あらゆる手段が
飛び交いました
驕りを捨てていこうぜ
さあ君がいる宇宙の果てに

出典: ぜろ/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー

主人公は「正しく生き抜く」ために、様々な方法を学んできたようです。

失敗しながらも必死に努力してきたのでしょう。

でも、主人公の学んできた事柄は「いかに社会や他人に認められるか」という発想のものばかり…。

これでは、前述した「役割を演じること」を加速させてしまいますね。

「努力」したつもりがむしろ「自分を苦しめて」しまったのだと思います。

「驕り(おごり)」とは思い上がりのこと。

「こうあるべき」という思い込みを脱ぎ捨て、素直な思考で生きることを促しています。

飾らない本当の心を思い出す

痛みを負ってしまっても

イコール
ぜろになって 愛されたって
嫌われたって それが自分で
別れがあって ひとりになって
本音を隠すのが うまくなったって
通じ合えるのは そうだよ
見栄や虚勢じゃないダサい部分

出典: ぜろ/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー

ここでは「辛い出来事」に対する受け止め方を歌っています。

ショックを受けると「自分がいけなかったんだ」とか「もう本心を出したくない」と思ってしまうことも。

苦痛と向き合い反省したり、意味を見出すことは大切です。

ですが、必要以上に自分を責めたり身構える必要はないでしょう。

複雑化させてしまうと、他人と心を通わせることが難しくなってしまいます。

上手に「心の痛み」を癒し、素直な心で人と関わる事ができたら…。

その先にはようやく「愛のある信頼関係」が生まれるのではないでしょうか。