甲子園の舞台で活躍する選手の背後には、レギュラー争いに敗れた人がいます。

あと一周だけグラウンドを走ろう。

あと一本だけノックをしよう。

あと一分だけトレーニングをしよう……。

ひとつひとつは些細なものです。

でもレギュラーを勝ち取れなかった本人こそが、その「一歩」の重みを知っているはずです。

ただただ「勝ちにいこうぜ!」と背中を押すばかりが応援歌ではありません。

涙を飲んだ人に思いを馳せることもまた、重要です。

このフレーズを聴いてマウンドに立った選手も、試合には出られない仲間のために決意を新たにすることでしょう。

勝負から目を背けないことの大切さ

憧れから逃げたこともある
でも僕は僕から
逃げたくはなかった

出典: 甲子園/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治

野球に限ったことではありませんが、夢を追うのは時に苦しさが伴います。

なかなか理想通りの結果が出なかったり、思う力が発揮できなければ投げ出したくなることもあるでしょう。

そんなときどうする?

自問自答したとき、あなたはどのように答えますか?

逃げちゃダメというのは簡単ですが、上手くいかないときだってあります。

結果的に諦めてしまったとしても「逃げたくはなかった」と思えるでしょうか?

逃げたことを「しょうがないことだった」で終わらせてしまえば、次のチャンスはありません。

かけがえのない仲間たち

福山雅治「甲子園」の歌詞の意味とは?100年続いた「つながり」を大切にしたい…NHK甲子園テーマ曲の画像

忘れないよ 僕ら
ぶつかったり励ましたり
傷ついても ひとりじゃなかったね
僕は想像する
いつか家族ができて子どもにも
自慢するんだ「仲間と情熱の日々」
君と僕の

出典: 甲子園/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治

野球のような団体競技では、個人の考えが衝突することの方が多いのではないでしょうか?

想いが強ければ強いほど、お互い妥協なんてできません。

まして普段はレギュラーの座を競い合うライバルです。

いつだって「こいつにだけは負けたくない」気持ちでいっぱいなはずです。

でもそんな気持ちを乗り越えた先には……。

きっと、大人になっても肩を組み合えるような存在になっていることでしょう。

掴みたいんだ
ずっと僕は僕を諦めずに
君は君を諦めなかったね

掴みたいんだ
今日も挑戦者として戦う
チャンスは挑戦するものだけに訪れるんだ
そうだろ?

出典: 甲子園/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治

深紅の大優勝旗を勝ち取りたい気持ちはみんな一緒です。

ひとりひとりの「逃げたくない」という気持ちが、大きな勇気に変わります。

この部分のフレーズは、全ての挑戦者たちに共通する言葉ではないでしょうか?

君だけにしか
僕だけにしか
できないこと認め合って
拾いあって繋ぎ合えば
ほら 越えていける

出典: 甲子園/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治

野球の強みは何と言ってもチームプレイです。

ブラスバンドも同じです。

個人の力は大したことがないかもしれません。

でも志を共有した仲間が集まれば、どんな目標でも達成できそうです。

そんな「信じる気持ち」に訴えかけてくるようですね。

勝敗を超えたものとは?

福山雅治「甲子園」の歌詞の意味とは?100年続いた「つながり」を大切にしたい…NHK甲子園テーマ曲の画像

忘れないよ 僕ら
競うべき相手でもあり
守り抜く仲間でもあって
僕は想像する
いつか家族ができて子どもにも
「勝敗を超えて掴んだもの」を話そう
君と僕を

出典: 甲子園/作詞:甲子園 作曲:甲子園

野球は究極の団体競技ではないかと思います。

でも、チームとして勝つためにあえて「個人としては負ける」プレーが求められる時があります。

具体的には「犠牲フライ」や「送りバント」などが挙げられます。

他の競技では仲間が得点をするために、自分は退場になってしまうようなプレーはあまり見かけませんよね。

ホームラン狙いじゃなくてもいい

テレビや新聞で注目を浴びるのはホームランや奪三振ばかりでしょう。

でもそんなファインプレーだって、仲間たちに自己犠牲の上で成り立っているのかもしれません。

個々人のプレーは、単純に白黒をつけられるものばかりではありません。

送りバントを打った選手は一塁アウト、そこで終了です。

自分はホームベースに帰れないけれど、それでも仲間を走らせたい……。

この感覚こそが「勝敗を超えたもの」ではないでしょうか?

100年先の仲間達へ
我ら謳う
青春を 生命を 謳う

出典: 甲子園/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治