BOØWYの人気を決定づけたヒット曲

短い言葉で聴く人に思いを伝える

「B・BLUE」は、5thアルバム『BEAT EMOTION』の先行シングルとして1986年9月に東芝EMIから発売された、4枚目のシングルです。この曲はBOØWY初のヒット曲で、ラジオや有線で結構流れていた記憶があります。

そのためか、歌詞がすごく短い気がしていました。それで歌詞のセンテンス分けをしてみると、サビの英語部分とリフレインの部分を除くとなんと14行しかありません。

この短い言葉で聴く人に思いを伝えられる氷室京介さんは、やはり天才なのかもしれません。

B・BLUE - BOØWYの代表的な一曲となった歌詞の凄さとは?氷室京介の動画と共にお届け!の画像
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心が傷ついても未来に向かう

短い歌詞の中に思いを凝縮

「B・BLUE」の歌詞自体は、「違う明日を見ていた」男女がでも愛し合っているというラブソングですが、サビで「心が傷ついても飛び続ける」という未来を感じさせる言葉を氷室京介さんの独特のシャウトで歌われると、砕け散った心も「頑張ろう」と感じさせてくれるのでしょう。

ちなみにソロの動画ギターを弾いているのは、SIAM SHADEギタリストDAITAさんで、2003年以降の氷室京介さんのツアーはDAITAさんが演奏しています。

布袋寅泰さんの荒々しいカッティングと比べると面白いですね。

1986年のBOØWY

ヒット曲志向の分かりやすい曲

BOØWYの曲は氷室京介さんが作詞をしていることがほとんどですが、歌詞が短くてシンプルなのも特徴なのではないかと思います。

特にヒット曲を狙らう方向を打ち出した中期の頃のBOØWYの曲は、演奏時間も大体3分半くらいと短く、今のヒット曲と比べるとあっという間に曲が終わってしまうというイメージがあります。

当時は今のように楽曲はデータではなくアナログのレコードで、ラジオや有線などで曲を流す際にも、レコードやテープを使って放送していた時代です。

AMラジオなどでは曲を全編流すなんていうことは少なく、イントロやエンディングなどはカットしたり、放送用に短く制作されたバージョンを流していました。

そうしたこともあって、バンドもプロデューサーも短めの曲の戦略をとっていたのかもしれませんね。

ただ、ライブとなると別です。布袋寅泰さんのギターリフやソロがガンガン入ってきて長くなることもありました。

織田哲郎さんのバンドのボーカリストとしてプロデビュー

アナーキーや子供ばんどとグランプリを競う

氷室京介さんがデビューしたのは、BOØWYが最初ではなく、ビーイング(TUBEB'zで有名な事務所)から「スピニッヂ・パワー」のボーカル(寺西修一名義)として1980年9月に「HOT SUMMER RAIN」というシングルをリリースしています(織田哲郎さんのバンド)。

さらに、アマチュア時代に出場した、日本楽器製造(現ヤマハ)東京支店が主催していたアマチュアコンテスト、「EastWest '79」の決勝大会の模様を収録したアルバム『EastWest '79』に「デスペナルティ」というバンドで収録されています。(廃盤)

この時のコンテストにはパンクバンドの「アナーキー」やうじきつよしさんのバンド「子供ばんど」なども出場しており、グランプリは「子供ばんど」が受賞。氷室京介さんは、このコンテストが契機でプロデビューしたようです。

この「EastWest '79」は関東甲信越地区のアマチュアを対象にしたコンテストで、フュージョンバンド「カシオペア」や「サザン・オールスターズ」、「シャネルズ」、「久保田利伸」、「SHOW-YA」など有名ミュージシャンを数多く輩出していた、プロデビューに直結する有名なコンテストでした。

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コンテストで布袋寅泰さんと対決