20世紀屈指の名曲「Yesterday」
ビートルズの芸術的飛翔
1965年に発表されたビートルズの「Yesterday」は20世紀を代表する名曲になりました。
今では考えられないことですが当時のビートルズは保守的な論客による格好の攻撃の的。
毎日、「ビートルズはただの騒音で聴くに堪えない」と中傷されていました。
そんな保守論壇を黙らせた楽曲が「Yesterday」です。
弦楽四重奏を加えた美しい伴奏とポール・マッカートニーの甘い歌唱。
「Yesterday」はこれまでのロック・バンドのイメージを転倒させました。
ビートルズにとってこの曲を含むアルバム「ヘルプ! 4人はアイドル」は中期への準備期間。
このアルバムの後の「ラバーソウル」はさらに芸術性を高めてゆきます。
「Yesterday」はビートルズにとって踏切地点。
この頃を境にビートルズは大衆的ロック・バンドから芸術集団へと次元を飛び越えてゆくのです。
ポールの最初のソロ作「Yesterday」
ビートルズ神話は様々
「Yesterday」はクレジットこそ「Lennon=McCartney」ですがポール・マッカートニーのソロ作です。
レコーディングにも他のメンバーは携わっていません。
弦楽四重奏のスコアを書いたのはプロデューサーのジョージ・マーティンです。
ライブでこそ他のメンバーも演奏に加わりますが録音はポールとジョージ・マーティンの仕事でした。
日本武道館公演でも「Yesterday」は演奏されています。
悲鳴を上げ続けていた観客が静かに曲を聴いてくれたことにポールは感激して親日家になります。
一方で日本やアジア諸国の客席の静まり返り方に嫌気が差してバンドはライブ活動をやめた。
そんな説もあります。
どちらの説もあまり説得力はなく話半分で聴いたほうが良さそうです。
ジョン・レノンはソロ時代に「イマジン」を書いたときに「Yesterday」について語ったといいます。
「オレにも『Yesterday』のような曲が生まれた」
著名なエピソードですがジョンは一方でビートルズ時代にこんなこともいっています。
「別にオレが『Yesterday』作らなかったことを後悔なんかしてないよ」
斯様にビートルズの数々の神話はヴァリエーションが豊富です。
どのエピソードを信じていいかわからなくなります。
そんなエピソードのうちでも「Yesterday」はポールの母親に宛てた曲というものがあります。
実際にポール自身が「MOJO」誌のインタビューで語ったことです。
しかしポールは「自分でもそのことに長年気が付かなかった」と添えています。
「心理分析家のいい材料になるのでは?」と語るのです。
ポールが爪弾くギター
「災い」か「揉め事」か?
Yesterday
all my troubles seemed so far away
Now it looks as though they're here to stay
Oh I believe in yesterday
出典: Yesterday/作詞:Lennon=McCartney 作曲:Lennon=McCartney
元々はギタリストであったポールがアコースティックギターを爪弾いています。
使用したのはEpiphoneの銘機Texanというアコースティックギターでファンには有名です。
ライブ演奏ではこの部分をジョンが弾いています。
「昨日は
すべての災いが遥か遠くにあったようなのに
今はここに災いが訪れているように思える
ああ、僕は昨日の方を信じるよ」
女性との別れを念頭に置くと「災い」ではなく「揉め事」のようなニュアンスになりそう。
母親との死別を意味するなら「災い」がしっくりくると思います。
また、英文法の観点から見ると大事なのはit looks as thoughの構文であり、ここで直説法が使われていることです。
大きな違いとしてはas if~は条件節が仮想である時に用いられ、as though~は条件節が真実である時に用いられます。
この部分の解釈は災いが本当に現実で起こっているのであるという事実を突きつけているのです。
だからこそその後のI believe in yesterdayが何とも切なく苦しい響きを伴った内容になるのではないでしょうか。
同じ「信じる」でもbelieve inは「現実に存在しないこと」を信じる、即ち「昨日」までの平和な状態を信じるという意味になります。
それ程に現実を理解し受け止められない動揺が歌詞の1つ1つから感じられるのです。
ポールとジョンの絆を深めた出来事
ジョンにもあった不幸
ポール・マッカートニーの母親・メアリー・パトリシア・モーヒンは1956年に乳がんで死去。
ポールがまだ14歳のときでメアリー自身も47歳のことです。
ジョンも17歳で母親・ジュリア・レノンを亡くしています。
こうした共通点が2人の絆を強くしました。
ポールはジョンとの不仲を伝えられることが多いですがそれはわずか数年の間。
ポールはむしろジョージとの関係がこじれていました。
アーティストとしてバンド時代も着々と成長していたジョージのことを見誤っていたのです。
とはいえ、根っこがバラバラな者同士が1つのバンドを組んでグループ活動を行うこと自体が奇跡なのかもしれません。
会社に例えるなら個人事業主として独立出来るレベルの全く違う経営者たちが1つの会社を経営しているようなものです。
ポールはリンゴ以外と不仲であったということを聞いていましたが、そもそも他者に素直に従うタマではないのでしょう。
この曲はそういう意味で後に顕在化していくことになるビートルズ解散の予兆を示した曲だと取ることも出来ます。
そんな曰くが付く程に魅力的で格好いい最高のグループだということです。