Janne Da Arcの3rdシングル
実話を基に構成された楽曲
2000年に発売されたJanne Da Arcの3rdシングル『EDEN~君がいない~』。
ボーカルであるyasuさんが作詞作曲を務めたこの楽曲は、上京に際して実際にあった話を基に作られています。
大阪で活動していたJanne Da Arcが活動拠点を東京に移し、デビューする中で起こった出来事です。
憧れの場所(東京)で、憧れのバンドを目指して、憧れていた世界でバンド活動を行う中で置いてきたもの。
そのことについて、切ない男心の微妙な心境が綴られています。
実体験からくる歌詞の世界は、多くのリスナーに届き、共感を呼びました。
ヴィジュアル系氷河期に誕生した実力派バンド
ちなみに、この楽曲がリリースされた2000年1月のオリコンランキング。
この時代を象徴するようなメンツが揃っていました。
L'Arc〜en〜Ciel、GLAY、Mr.Children、モーニング娘。、安室奈美恵、宇多田ヒカル等がランクイン。
バンド、アイドル、歌姫がヒットチャートを賑わせていたのです。
これらを見ておわかりいただけるとおり、当時、ヴィジュアル系はだんだん下火になりつつありました。
一時のブームは去り、ヴィジュアル系を含むバンドがチャートを席巻した栄華は崩壊の一途をたどっていた時代。
そんな中、ヴィジュアル系ここにありと言わんばかりにリリースされた今作はオリコン15位を記録しました。
この時勢において、これはなかなかの快挙であり、旧来のヴィジュアル系ファンには吉報だったのです。
とはいえ、Janne Da Arcの楽曲はポップロックと言っても過言ではないくらい綺麗な雰囲気をまとっています。
色でいうと紫色や黒色といった雰囲気をまとったこれまでのヴィジュアル系とは一線を画していました。
この辺りは、古参のヴィジュアル系ファンとしては賛否両論を巻き起こしたのは事実です。
しかし変化する時代の激流の狭間にデビューしたJanne Da Arcは時代に翻弄されつつ勢力的に活動を続けました。
キャッチーさやポップさや、ヘビーなロックをベースとした多様なヴィジュアル系が台頭してくる前の時代。
そんな、ヴィジュアル系氷河期にデビューしたのがJanne Da Arcです。
ヴィジュアル系黄金期の様々なバンドのいいところを吸収し、昇華させた独自の幅広い音楽性。
それにキャッチーさや深い歌詞の世界観、確かな演奏技術と表現力を融合した楽曲が彼らの武器です。
これらを武器に、Janne Da Arcという存在は、その後のネオ・ヴィジュアル系への流れを作ったのです。
『EDEN~君がいない~』の世界観
そんな彼らが3枚目にリリースしたこの楽曲『EDEN~君がいない~』。
いったいどんな世界観なのかというと、上述の通り、上京に際しての実話がベースになっています。
比喩で彩られた実体験にうまく絡み合うように、置いてきた彼女を想って苦悩するyasuさんの姿。
夢を追う過程で犠牲にしないといけなかった現実を、夢を掴んだ今もなお苦しんでいるのです。
これから成功していけるのかどうかもわからない中で別れないといけなかった恋人。
yasuさんの並々ならないデビューに向けた熱量と、音楽に対する強い想いを感じることができる作品です。
そんな背景を理解した上で、その歌詞の世界を解説していきましょう!
比喩に彩られた実体験
憧れの存在に近づくためにユートピアを目指す
まずは、この楽曲を解説する前に比喩の解説をしておきましょう。
この楽曲には特徴的な比喩を含む単語がいくつか出てきます。
虹、夢、君、僕、EDEN、鳥。
これらの意味をひとつずつ解説すると下記のようになります。
- 虹:yasuさんの憧れのバンドである、L'Arc〜en〜Cielのこと
- 夢:メジャーデビューのこと
- 君:上京前に別れた彼女のこと
- 僕:yasuさん本人のこと
- EDEN:活動拠点である憧れの理想郷、東京のこと
- 鳥:「君」と同じ意味の比喩表現
これらの単語を理解した上で、この楽曲の歌詞を読み解いていくと、理解がスムーズになります。
では、歌詞の中身に入っていきましょう!
サビスタートに込められた強い想い
遠く離れた「君」に声が届いていますか?
虹が見える空をめざし いつも夢だけ追いかけてた
君を詩う 僕の声が 今聞こえますか?
出典: EDEN~君がいない~/作詞:yasu 作曲:yasu
静かなトーンで始まるサビの部分。
ここがyasuさんが最も言いたかったことなんだと思います。
遠く離れてしまった「君」に届くように、メジャーの電波で届ける想い。
直接電話をすることもできない関係になってしまったからこそ活躍している姿を見せたいのです。
自分は今、やっとその位置に辿り着けたのだから、あとは「君」に届くように歌い続けるだけ。
今ほどSNSが浸透していなかった時代。
交流も容易じゃなかったことでしょう。
その中で何よりも大きな声を届けられる媒体。
それがメディアだったのです。