浜田省吾を尊敬するミュージシャン
浜田省吾、愛称ハマショー。
1975年ロックグループ「愛奴」のメンバーとしてソロデビュー。
1976年4月にシングル「路地裏の少年」とアルバム「生まれたところを遠く離れて」でソロデビューします。
ロック指向の彼としては不本意であったものの、生ギター1本で全国ライブ巡業をはじめました。それ以来、「テレビから零れ落ちた大切なものを丁寧にすくいとろう」とライブを大切にしてきました。
次第に日本の音楽界にはなくてはならない存在となった彼は、多くのミュージシャンからの憧れの的となり尊敬されるようになりました。
尾崎、福山、桜井も・・・
浜田省吾から影響を受け、彼を尊敬しているというミュージシャンは数多くいます。
たとえば、すでに亡くなりましたが尾崎豊。
それから、福山雅治、桜井和寿(Mr.children)、中村あゆみ・・・。
浜田は、彼らと会う時には、事前に曲を聴いたといいます。そして、決まってアドバイスすることは「どんなことがあっても歌い続けなさい」ということ。
たとえその時に人気があっても音楽をやっていれば売れないときがあるかもしれないし、歌い続けるのがつらいこともあるでしょう。
それでも「歌い続けろ」というのです。
音楽ばかりでなく他の道にも通ずることです。
事務所の後輩スピッツの才能を見抜く
後輩をあたたかく見守る浜田省吾。
同じ事務所の後輩、スピッツの音楽性を高く評価して、まだ世に知られていない頃から応援していたそうです。
「ロビンソン」が売れたときには「自分のことのように嬉しい」と発言したそうです。
浜田省吾の懐の深さが表れていますね。
彼の曲には、心のあたたかさが底に流れています。
また、「ロック=英語」という既成概念に疑問を抱いて、日本語の歌詞にこだわって曲をつくりました。
これは後の多くのミュージシャンたちに多大な影響を与えました。
浜田省吾の代表曲
ここで浜田省吾の人気曲、よく知られている曲をご紹介しましょう。
もうひとつの土曜日
浜田省吾18枚目のシングル「LONELY-愛という約束事」のB面になった曲です。
B面であるにもかかわらず、多くのミュージシャンがカバーしている、彼の代表的なバラードのひとつです。
今や、男性が唄うカラオケ・ソングの定番になっていますね。
おだやかなメロディーで、かつ歌いやすいということもあるのでしょう。
何より、歌詞に引き込まれます。
他の男に恋する女性を見守り続ける男性の歌です。
いくら愛する女性のためとはいえ自分を押さえつけ、ここまで女性を支えるのか。
自分にはとてもできないと思う人も、この曲をカラオケで歌っているときは、心の広く、あたたかい男性になってしまいます。
この歌のスケールはそのままハマショーの心を映しているのでしょう。
J.BOY
「J.BOY」とはどういう意味でしょうか。
“Japanese Boy”という意味であり、「成熟しない日本」との思いが込められています。
自分を犠牲にして、意味もなくただお金のために働き続ける現代日本人の葛藤を描いています。
ようするに、現代の「日本男児」の歌といってよいのかもしれませんが、同じようにこの厳しい競争社会を生き抜いていかねばならない女性たちにも当てはまります。
1986年、バブルの真っただ中に発表されたこの曲は、今でも多くのファンの共感を呼んでいます。ツアーでも毎回のように演奏されています。
悲しみは雪のように
オリジナルバージョンは1981年に発表。
1992年にフジTVのドラマ『愛という名のもとに』の主題歌となり再リリースされました。
大幅にアレンジを変更してリメイクされました。
このリメイク版を聞いたことある人の方が多いかもしれません。
浜田が尊敬する詩人で、吉野弘(2014年帰幽)の詩「雪の日に」をモチーフにして描かれた曲だそうです。