どうしたいのか、どうなりたいのか、ココロが思うこともアタマが考えることも分からなくなることがあります。
まさに自分が迷子状態。
思いと考はいつも同じとはかぎりません。
むしろ違っていることの方が多いのかもしれません。
ココロが思うことにアタマの考えを合わせたらよいのか…。
それとも、アタマが考えることにココロの思いを寄せたら良いのか…。
もしかすると互いが寄り添ってみたなら、迷路から抜け出ることができるのでしょうか。
一緒にこれからも
だからもうどこにも行かないでね
私も離さないようにするから
ああ芝生の緑に
寝転ぶようにそっと育てられたなら
出典: あかるいよるに/作詞:清水依与史 作曲:清水依与史
ココロが思うことから目を背けずに、感じたままに生きよう。
自分の気持ちに正直に生きていくことができたらふたりは仲良く楽しく一緒にいられるのです。
ココロとアタマが幸せをいつも共有することができたなら…。
きっと私も幸せなのです。
ずっと寄り添いながら、ゆっくりとお互いを育み合っていこうということなのでしょう。
人の価値観って
人それぞれ素敵だなと感じる事や、輝いて見えるものは違いがあります。
嫌だと感じることも人それぞれ。
「好きにならなくちゃ。」
「大嫌いになれたらどんなに楽だろうに。」
人の感情は「こう思うべきだ」というように無理矢理変えようとしてもなかなか変えられるものではないのです。
ましてや「好き」や「嫌い」という感情ならなおのことなのでしょう。
どうしても好きになれない事や人。
どうしても諦められない夢や憧れ。
「どうしても…。」の思いに正直に生きることができる人にはどうやら秘密があるようです。
その人にしか見えない魅力
好きになろう 嫌いになれたらな
努力してもダメね結局は
恋も愛も憧れも夢も信念も
呼び方が違うだけ
かかった人にだけ
価値が生まれる魔法 の話
アブラカタブラ
テクマクマヤ リンリロン
スリートゥーワン ララララ
出典: あかるいよるに/作詞:清水依与史 作曲:清水依与史
恋をしていたり、夢を持っていたり、何かに憧れを持っている人は輝いて見えるものです。
何か強い意志を持って生きている人も。
そんなふうに見えるのはなぜなのでしょうか?
それはきっとその人が心から「そうしたい」「そうなりたい」と強く思っているからなのでしょう。
努力や思い込みで探し当てた魅力はいつか限界がきます。
でも、自然と見えた魅力はきっといつまでも色褪せることはないのです。
7行目~9行目のまるで自分に呪文をかけているような歌詞。
気持ちの赴くままに自然体で生きることができたらいいのにな…。
魔法よかかれ!
そんなつぶやきが聞こえてきそうな、とてもユニークでリアルな歌詞です。
気持ちに素直になって
楽しく自然体でいることが私らしさ。
「自分らしさ」は無理に見つけるものではなく自然と生まれてくるものなのです。
ダメな自分も、好きな自分も私。
私が私でいられるためには何が大切なのかが少し見えてきたようです。
自分だけの色じゃなくてもいいんじゃない?
これからも毎日ずっと一緒にいるんだし
どうせなら楽しい方がいい そこは同じね
なにも恥ずかしい事じゃないのに
羨む必要なんてないのに
ああリズムも匂いも
誰と似ていたっていいんだよ
出典: あかるいよるに/作詞:清水依与史 作曲:清水依与史
自分だけの何かを持ってなくてもいいのです。
他の誰かの真似でも、似ていても、それはひとつとして同じ物はないのです。
自分のやりたいように、生きたいように生きていればそれはもうオリジナル。
唯一無二のものとなるのでしょう。
最初は誰かの真似からだって、恥じることなんかない。
思うがままに楽しい私でいたならば、それがやがて自分らしさを生むのでしょう。
私が迷子にならないように
ココロとアタマとそれから私。
どれもそれぞれ主張したいことがあるでのでしょう。
その3人が私を作っているのです。
常に一緒にいて、なかなかソツなくこなせない不器用揃いの3人。
だけど私にとっては決して離してはいけない、大事な私の一部なのです。