役割を与えたのは先生でしょうか。「少年D」は少なくとも「僕」が自分で選んだのではなさそうです。
群れの中に入りたいとも、舞台に上がりたいとも思ってないのに、「あなたは脇役ね」と決められる。
「劇なんてそういうもの」と割り切ればさして問題ないものの、自我が確立してきた「僕」にとっては大問題。
まるで自分の存在価値を勝手に決めつけられたような仕打ちではありませんか。
「僕」はまっとうに、先生に自分にとっての存在意義を主張します。
「僕」の主張
この世界では僕は少年D
名前も持たない少年D
台詞はひとつ「おやすみなさい」
そう僕がいなくても始まる舞台の
端っこに立った少年D
誰も彼なんか見ちゃいない
でも僕にとってはVIP
そう僕がいないと始まんないんだよ
僕の世界は
出典: 学芸会/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
主役を引き立てるためだけに舞台に上げられたモブキャラの「僕」。
誰も注目しないし、名前すらありません。
この舞台上の世界はまるで現実世界を投影しているかのようです。
世界にとって、周りにとって、「僕」という存在はいてもいなくても変わらないものなのでしょう。
けれど「僕」にとっては自分はこの世界の舵を握る最重要人物です。
周りがどう決めつけようと、僕だけは自分の役割を投げ出したらいけないんだと強く決意しているようです。
「僕」の存在証明
現実とのギャップ
待ってました
お出ましだ
ついに来た 出番だ 道あけな
皆々様 俺様のお通りだ
ガンガンとライト照らしておくれよ
何言ってんの?言っちゃってんの
まだサンタはソリに乗ってんの?
それは君の世界の話でしょ?
現実の中の話はこう
出典: 学芸会/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
ここにきて自我に目覚めた「僕」は「僕=主人公」を現実の世界にも持ち込みます。
バックコーラスに入る「ハハハ」という声も相まって意気揚々と登場する「僕」の姿が目に浮かぶようです。
ですが舞台上でそんな役割は与えられていない少年D。すかさずクラスメイトに制されます。
いてもいなくても一緒なの
どうこう言える立場にいないの
主役の子に当てられた光から
わずかに漏れた微かな明かりが
僕の照明 ここにいる証明
人様のおこぼれで生きれて光栄
って思いなさい 演じなさい
胸張って脇を固めなさい
出典: 学芸会/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
クラスメイトの言葉なのか、「つまりそういうこと」と「僕」が理解した言葉なのか。
求められているのは「ありがたく、自分ではない他の誰かの脇役として生きなさい」ということ。
これは逆に言うと、自分自身のために生きることを許されていない状態ともいえます。
舞台役者であればそれを演じるのが仕事ですが、現実の世界では?
自分でも知らないうちに、自分ではない誰かのために脇役を演じること。
「親を喜ばせるためにたいして興味もない就職先を選んだ」
「友達を続けてもらうために好きでもない趣味に付き合った」
「下にいる妹弟の見本となるように振る舞って生きてきた」
その世界の主役は誰?スポットライトは誰に当たっていますか?
周りとの関係性を維持するため、波風を立てずに平和に生きる。
ここではそんな窮屈な世の中を揶揄しているようです。
そんな世界に反発するように、ついに「僕」は行動を起こします。
僕を見て
「こうなれば」と呟いて
ついには狂いだした少年D
予想だにしない事態に
舞台上はもはや独壇場
逃げ惑う群れの中
あえなく捉えられた少年D
先生 これで晴れてこの僕が
誰が何と言おうと主人公です
…
そう僕がいたって
もしもいなくたって
違いなどないって?
んなわけないって
僕がいないとこうなんないんだって
出典: 学芸会/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
「僕」に注目せざるをえない状況にすることで奪い取った「主役」。
純粋な承認欲求とも、自己陶酔による衝動的な問題行動ともとれます。
それは「僕」の世界を支配させまいとする自己防衛の一種だったかもしれません。
捕まった後の「晴れて」という表現からも、「僕」は達成感で満ち溢れているようです。
彼は独自の方法で周りに存在証明してみせたのです。「僕がいなかったらこうなっていないでしょう?」と。
子どもが注目をしてもらいたくていたずらをしたり、脅迫の電話や手紙を送りつけて他人を不安に陥れたり。
その根っこはこのような承認欲求からきているのではないでしょうか。
誰しももっているこの感情。「僕」のしたことは本当に悪いことだったのか、考えさせられます。
しかしそんな「僕」に、クラスメイトからは矢継ぎ早に非難の声が上がります。
学芸会は大失敗で大失態の反省会
もう何なんだい?どうしたんだい?
一体全体何がしたいんだい?
とんだ厄介だ
何百回と何万回と謝らんかい
もう一回の最終回で大挽回を
皆に誓いなさい
出典: 学芸会/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
非難し、厄介扱いし、謝罪を求め、挽回を誓わせる。
周りに「僕」の気持ちを理解しようとしたり気持ちを汲んだりするような気配はありません。
歴史的に振り返っても、周りと違った特異な人物は異端児として扱われ、権力や多数の力で制圧されてきました。
近代になっても根本的には変わっていません。悲しいかな、これが現実なのです。
「誓いなさい」のあとに続く単音のギターリフレインはそれまでの雰囲気と一転して寂しげ。
「僕が間違っているんだろうか…。」「僕」の鬱々とした空気が漂います。
「僕」はこのまま屈してしまうんでしょうか…?
けれどこの最後のサビに入る直前でバックミュージックが急に変調!
これまでの疾走感に加え、爽快感のある晴れ晴れとした曲調で最後のサビが歌い上げられます。
彼がいなくても始まる世界だけど、「僕」はしっかり「僕」を生きていくんだという決意が表れています。