「進化樹」とは何か
2019年9月25日発表、中島みゆきの通算46作目のシングル「離郷の歌/進化樹」。
このうちの「進化樹」に焦点を合わせて解説いたしましょう。
作詞作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三のゴールデンコンビによる作品は安心感をもたらすでしょう。
「進化樹」とはあまり聞き慣れない言葉です。
おそらく生物学の進化系統樹から着想を獲て創った新しい概念と造語であるのでしょう。
進化系統樹は生物の進化についてツリー状に描いた系統図のことです。
人間にとって進化するということはどういうことか。
中々、進化・進歩できない私たちの文明そのものへの問いかけをする重い歌が「進化樹」です。
この曲「進化樹」に込めた中島みゆきの思いや困惑を鮮明にできたらと思います。
重くて難しい内容を含む歌詞ですが歌自体は説得力のある力強い作品に仕上がっているでしょう。
これこそが中島みゆきの真骨頂と呼ぶべき歌です。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
樹木は背を伸ばしても
悠久の歴史の中を生きた
高い空 腕を伸ばして どこまでも咲こうとした
めぐりあわせの儚さに まだ気づきもせず
幾億年歩き続けて すがた貌(かたち)は変わっても
幾億年傷を抱えて 明日こそはと願っても
出典: 進化樹/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
歌い出しの歌詞です。
登場人物は語り手の僕ひとりだけ。
僕の内省的な様々な想いが歌詞として展開されるのです。
しかし僕の背景には人類と巨大な自然界という大きなものの存在が横たわっています。
膨大な歴史と時間がこの歌の光景を圧倒的なものにするのです。
最初のラインは空に向けて大きく枝を伸ばして花を咲かせる巨大な樹の姿を描きます。
この想像の上の樹こそ中島みゆきが進化樹と呼ぶものです。
上述した通り進化系統樹がモチーフになっていますが、実際の樹木のように描きました。
進化系統樹・進化樹は過去から未来に向かってどんどん生成変化してゆきます。
その変化・進化の歴史の過程で様々な運命と交錯するのが生命の神秘の最大の見所でしょう。
悠久の歴史の中で偶然と必然が織りなす運命の中で生物は生成変化を続けてきたのです。
進化系統樹の枝の先で滅びてしまう生物もいます。
それが私たちホモサピエンスの未来でないことを祈らずにはいられません。
海の生き物が陸へ上がった
私たちの祖先は海にいたとされます。
生物の進化は謎があまりにも多いでしょう。
中島みゆきもその謎にこそ心を奪われているに違いがありません。
海の中から陸へ上がっても私たちは進化を繰り返し続けました。
それはとても長い時間をかけた話であって私たちの日常感覚を超えた物語があるはずです。
私たちの祖先は信じられないような姿をしていました。
しかし私たちの手指に残る水かきのようなものの存在。
この水かきのような部位は私たちが海の中にいたことの名残であるといわれます。
長い時間をかけて姿かたちを変えてきた私たちにもまだ残存している海の中の記憶。
姿を変える度に私たちは新しい環境に馴染むように生きてきました。
繁栄を続けて衰退が目に見えるとまた新しい存在へと進化できたのです。
中島みゆきはその中で心に残る傷にこだわります。
進化を促してきたのは生物のもうやっていけないという想いであり心の傷であるのかもしれません。
私たちの社会は日々息苦しくなります。
格差社会の進行で大多数の人が貧困層に振り分けられました。
老後の生活資金として貯金が必要といわれても無貯蓄の家庭の方が増えているのです。
生きるのが大変な状況にいよいよ直面しています。
ならば明日に私たちは生成変化をして新たな形態へと変わることができるでしょうか。
進化への問いかけ
私たちは進化を棄てた
誰か教えて
僕たちは今 ほんとうに進化をしただろうか
この進化樹の 最初の粒と
僕は たじろがずに向きあえるのか
出典: 進化樹/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
私たちは今、苦しい現実を生きています。
生物の歴史は本当にツリー状の進化を遂げるように枝葉を伸ばしているのでしょうか。
このツリー状の思考モデルが妥当するのであれば私たちの局面はいつか打開できるはずです。
しかしその気配は一向に見当たりません。
私たちは姿さえ変えることができずにいます。
人間は環境を変えることで生物としての進化の役割を置き換えることに成功してきました。
長い間続いた絶対王政も暗黒の中世も産業革命の勃興で資本家が力を持ち出すと呆気なく崩壊します。
その後に社会を引っ張ってゆくのは信仰や屈服ではなく進歩的な考えと科学技術の進展でした。
その後、数百年の単位で私たちは新しい原理を採用した社会の中で生きています。
しかし社会が生み出した富は極部に偏在しているのです。
社会の中で隷属的な立場にいる私たちには富の恩恵に与れません。
生物の身体に喩えると末端に血液が届かなくて一部が壊死している状態に陥っているのです。
中島みゆきが「進化樹」の中でそもそも進化しているのと問うのはこうした社会背景があります。
生命の誕生から学ぶこと
単細胞生物が複雑な形を持つ私たちの祖先へと進化したその決死のジャンプ。
この生物としての躍動にある生命力というものの根源的な力。
この躍動する生命力というものが今の私たちには欠けています。
今の私たちはむしろ緩慢な自殺を強いられているような社会にいるのです。
弱者は貧困に喘いで苦しんでも構わない。
日本社会は弱者救済のための公助のための施策を無駄と考える人が多くいます。
公助だけでなく共助さえ要らない。
すべてが自己責任であり、貧困というものの自己責任の最たるものと考える人が多いです。
こうした考えの人も国際的な基準で満足する賃金を獲ているとは限りません。
貧者がさらなる貧者を圧し潰す社会の中で私たちは生き死にしているのです。
公助に関しての意識調査で見られる日本社会の冷たさは国際的に見ても異常だと指摘されます。
進歩的な考えを胡散臭いとして排斥して過去の政体へと国の形を変えようとする人々さえいるのです。
他者の足を引っ張り合う私たちは本当に進化を遂げた生物として胸を張れるでしょか。
生物の誕生の瞬間の最初の飛躍。
その驚異を思うと進化・進歩を拒むような私たちの退行した考えは生物として腐敗しきっています。
中島みゆきは短いスパンではなく驚くほど長い歴史の最初の瞬間にリスナーを誘い込むのです。
生物の誕生の瞬間に立ち会わせて、さてここから生命を始めた私たちの現状はどうだろうと問います。
中島みゆきだからこそ書ける生命の根源的に向けての問いです。
生きることを、進化することを決して馬鹿にしてはいけないと思い出させてくれます。