心は離れない 星は消えない
いつの日か 遠い國の歌を聞かせよう

出典: 離郷の歌/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

悲しい気持ちを引きずりながらもどうにもならない現状を受け入れ、前向きに捉えなおすことにします。

身体は離れてしまったとしても、心は郷里を思っています。 郷里で見ていたのと同じ星もここから見えている。

そうならば郷里の人々も同じ星を見ているハズです。

しかし、身体が離れてしまっているため、声を届けることはできません。

であれば、いつの日か帰郷したときには、私が見聞きしてきた郷里から遠く離れた國の歌を聞かせよう。

そう決意するのです。

しかし冒頭で「二度とは戻らない」と言っています。

「その歌を聞かせる日がくることはないのではないか。」

そんな相反する思いも同時に感じられるフレーズですね。

別れの種類

二番に入りますが、これまでと少し様子が変わってきます。

単純な別れと捉えていたのが、どうやらそうではないようです。

不安と海に流す恋文

屋根打つ雨よりも 胸打つあの歌は
二度とは戻らない 宙の流れ

行く手に道無く 況して待つ人無く
水に書く恋文 海へ還れ

出典: 離郷の歌/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

冒頭と同様の言葉が紡がれますが、道が見えない状況にあるようです。

ここでは知らない道を行く、(郷里の)誰も歩んだことのない道を行くことへの不安が感じられます。

そして、行ったことのない道ならばもちろん、見知った人がいるはずもありません。

自分を持ってくれている人などいないのです。

寂しさからか、主人公は郷里の思い人に向けて、恋文をつづります。

しかも、紙に書いて届けるのではありません。水にしたためているのです。

海に流れていくという表現から、川などの流水に書いている情景が浮かびます。

自分はもう戻らない。そうならば、持っていては重荷になってしまうかもしれない思いを吐き出して海に流す。

切ない行為です。

汚れる・埋もれるの意味とは?

汚れざるをえず汚れたものたち
埋もれざるをえず埋もれたものたち

出典: 離郷の歌/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

非常に解釈の難しい箇所です。

対になるのは、一番の「離れざるを~」の箇所。

一番では「郷里の人々との別れ」と考えれば、容易に気持ちを推し量れました。

しかし、今回は「汚れる」「埋もれる」という別れとつなげにくい言葉が並びます。

今までは別れを空間的・距離的な別離、と捉えていましたが ここで別れの種類を「死別」としてみましょう。

そうすると、新しい視点でこの歌詞を捉えなおすことができますね。

主人公の生まれ育った國では、天災が起こったのかもしれません。

大雨・地震・台風… その中にあって、雨土にさらされ、汚れざるをえず埋もれざるをえなかった。

そして、中には命を落としてしまった人もいた。

ここでは、深い悲しみを伴った死別という名の「別れ」が描かれているのではないでしょうか。

全てを連れてはいけないジレンマ

何もかも全てを連れてゆけたら
喜びも涙さえも 連れてゆけたなら

出典: 離郷の歌/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

そして、天災・死別であると考えたまま、次のフレーズを見てみましょう。

郷里の人々との楽しい記憶はもちろん、悲しみで流した涙さえも連れて行けたなら。 主人公はそう願います。

ここの二文は少し疑問が残る言い回しです。

人やモノといった物理的なものは、確かに連れていくことは無理でしょう。

しかし、喜びや涙といった「思い出・記憶」は自分が忘れなければ良いだけです。

それすら断ち切らねばならないでしょうか。

そうではないでしょう。 主人公は知っているのです、気持ちはやがて風化し、涙は乾いてしまうことを。

だから全て連れていきたい。自分の気持ちが少しも薄らぐことがないように。

もしそんなことができたならば、夢の中で会う人々の会話に主人公も入れたのかもしれません。

別視点でとらえる

ここからのフレーズは全て、先述したものばかりです。

ただし、死別の視点が加わっていることにより、少し別の見方ができます。

思い人の待つ海への恋文

行く手に道無く 況して待つ人無く
水に書く恋文 海へ還れ

出典: 離郷の歌/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

先ほどと同じフレーズですが、死別であれば捉え方が変わってきます。

自分を待っている人がいないのは、郷里にいる人のことを指しているかもしれません。

その人は既に亡くなっており、自分の気持ちを届けようにも届けられない

ならば恋文をその人がいるであろう、生命の母たる海に還す、という行為にも納得がいきます。