歌詞考察を始めると言っておきながらこんなことを言ってしまうのはどうかと思いますが、
実は「フラッシュバック」の歌詞に明確に伝えたい細かい意味ははないのです。
というのもこの曲を作った頃のゴッチさんは歌詞の解釈など気にしていなかったそうです。
要は語幹がいい、語呂がいい、なんとなく、といった感覚で作詞していた部分があるそうです。
ですので「フラッシュバック」の歌詞の解釈はあまり意味をこじつけず、
ゴッチさんはこういうことを感覚的になんとなく言いたかったんじゃないかな?
という筆者の妄想の範疇に止まるしかない、ということをご了承ください。
シナプスを表現している?
細胞膜に包(くる)まって3分間で40倍
窪んだカギ穴で絡まって
解き放つ瞬間僕を刺す
出典: フラッシュバック/作詞:後藤正文 作曲:後藤正文
出だしの歌詞がこちらです。
なんとも難解な歌詞です。
いろんな方がいろんな説を説いてますが、
筆者は「フラッシュバック」、「細胞膜」、「鍵穴」ときて、頭に浮かんだものは「シナプス」です。
「シナプス」とは神経細胞間の接合部のことを言います。
神経細胞とはニューロンとも言います。中学校の理科で習いましたね。懐かしいです。
このニューロンとニューロンが情報伝達するため伝達物質を受け渡しする場所が「シナプス」です。
シナプス小胞というものが神経細胞膜に結合して伝達物質が放出されるのです。
そしてこの「シナプス」がまさに「窪んだ鍵穴」のように凸凹しているのです。
「3分間で40倍」は具体的に何を指すのかはわかり兼ねますが、
脳の情報伝達が活発化されている状態を表すための表現方法ではないでしょうか。
そんな忙しい脳みそから、解放された瞬間に「僕」を「刺す」ものとはなんでしょうか?
これも物理的に何かが「僕」に刺さった訳ではないでしょう。
おそらくですが「フラッシュバック」された何かが脳裏に浮かんだことを「刺す」と表現したのでしょう。
「フラッシュバック」された何かは音像か、残像か、風景か、声か、何かはまだわかりません。
刺さったものを抜くにはとげ抜きを
最終的に砕け散って3年前そう限界なんだ
腐ったトゲヌキで抜きとって
解き放つ瞬間僕を刺す
出典: フラッシュバック/作詞:後藤正文 作曲:後藤正文
3年前に砕け散ったものはなんでしょうか?
まずは「3年前」とは一体いつのことかということになりそうです。
しかしこの歌詞を作詞したのが正確にわからないためここは深読みをせずに、
前のフレーズの「3分間」というのに韻を踏みたかった為「3年前」と表現したのではないでしょうか。
とにかく過去に何かが砕け散ったのです。
これも物理的な何かではなく、「夢」や「希望」、もしくは「精神」などでしょうか。
「限界なんだ」と言っていることから、
何かを最終段階まで我慢したものの「精神」が砕け散ってしまい限界がきてしまったということです。
「腐ったトゲヌキ」というのはその状態の「僕」を象徴しているのではないでしょうか。
限界がきて精神的にやられてしまっている状態の「腐った僕」。
そんな状態の僕が刺さったフラッシュバックされた何かを抜きとろうとします。
なんとか抜き取って解き放たれた瞬間に、またすぐに僕に刺さってきます。
「それ」とは?
それ超伝導
摂氏零度
浮かんで走ったあの日の影
出典: フラッシュバック/作詞:後藤正文 作曲:後藤正文
「超伝導」とは「超電導」とも記されます。
ある金属や合金を低温にすると電気抵抗が非常に低くなる現象のことです。
ここでは摂氏零度といっていますので、電気抵抗が非常に低くなっているということです。
要は電気が非常に通りやすい状態ということです。
先ほどニューロンとシナプスの話をしましたが、ニューロンの情報伝達方法は一種の電気信号です。
ですのでこの電気信号が活発になっている状態を「超伝導」と比喩しているのでしょう。
ではここででてくる「それ」とはなんのことでしょう。
歌詞の流れ的には「それ」=「超伝導」です。
超伝導は電気信号が活発になっている状態の比喩だと言いました。
では電気信号が活発になっているのは何故でしょう?
それは脳内で「フラッシュバック」が起きているからです。
ということは「それ」=「フラッシュバック」されている何か、ということになります。
「浮かんで」というのは「フラッシュバック」が脳裏に浮かんだということではないでしょうか。
そして「あの日の影」はいつかの僕のことを指していると思われます。
未来がフラッシュバックする
旋風(つむじかぜ)吹け
醜い過去から消し去って
強く願うそれ
あの日の未来がフラッシュバック
旋風吹け 醜い僕だけ消し去って
強く願うそれ
あの日の未来がフラッシュバック
旋風吹け 醜い過去から消し去って
強く願うそれ
あの日の未来がフラッシュバック
出典: フラッシュバック/作詞:後藤正文 作曲:後藤正文
「醜い過去」や「醜い僕だけ」を消し去って欲しくて「旋風吹け」と叫びます。
そして強く「それ」を願っています。
ではここの「それ」とは一体なんでしょうか。
歌詞の流れだけをみると「それ」=「醜い過去や醜い僕だけを消し去ってくれること」でしょう。
しかし前の節で「それ」=「フラッシュバック」のことだといいました。
そいうことは「フラッシュバック」=「醜い過去や醜い僕だけを消し去ってくれること」になります。
これを踏まえてもう一度「フラッシュバック」されている何かとはなんでしょうか?
最初にも言いましたが、過去がフラッシュバックされているのではなく、
未来の強く願ったものがフラッシュバックされていると考えることができます。
ここは完全に筆者の憶測ではありますが、
「ゴッチさんがバンドマンを目指して社会人をしていた頃に描いていた未来」
これが「フラッシュバック」されているのではないかと思うのです。
その頃描いていた未来はおそらくバンドマンとして成功してる未来でしょう。
このアルバムをレコーディングする時、ずっと思い描いた未来が叶うという期待があったでしょう。
実際に2002年リリースの1stミニアルバム「崩壊アンプリファー」も非常に話題になりました。
しかしその反面、想像通りではなく全く売れなかったらどうしようというような不安や恐怖もあるでしょう。
売れなかった頃の「醜い過去」は消し去って「あの日の未来」を強く願います。
それが「フラッシュバック」されている。
そんな未来を願い続けた歌だからこそアルバム導入の1曲目に収録されており
「未来の破片」という曲へと繋がるのではないかと思います。
音楽にとっての「歌詞」という要素
冒頭でも申し上げましたが、この頃の書いた歌詞は特に解釈など気にせず書いていたそうです。
ちなみにアジカンはデビュー前は全ての楽曲が英詞のバンドでした。
初期のゴッチさんはあまり歌詞への執着がなかったようです。
響きや語感を大事にし、歌詞は楽器の一部という感覚だったのかもしれません。
ですので本当に今回の歌詞解釈は筆者の妄想を広げて解釈したものです。
他に全く違う解釈をしている人もたくさんいるはずです。
でも、歌詞の解釈というのはそれもまた醍醐味でしょう。
人それぞれ受け取り方が違っていていいのだとも思います。
音楽をより楽しむために歌詞がある。
そんな考え方があってもいいのではないでしょうか。
「フラッシュバック」の歌詞を考えながらそんなことを感じた筆者でした。