RADWIMPS「ソクラィックラブ」とは?

【ソクラティックラブ/RADWIMPS】曲の最後に隠された星の文字とは!?歌詞の意味を解釈!和訳も!の画像

「ソクラティックラブ」は2009年3月11日に発売された、RADWIMPSの5枚目のアルバム『アルトコロニーの定理」に収録されている楽曲です。

曲自体は知っているという人も、歌詞には悲しい恋の物語が、そして、この曲の最後にはある文字が隠されていることを知っていますか?

歌詞解釈の後にその文字についても考えていきたいと思うので、最後までお付き合いください。

RADWIMPS「ソクラティックラブ」の歌詞解釈!

では、早速RADWIMPSの、「ソクラティックラブ」の歌詞解釈をしていきたいと思います。

英語歌詞部分は和訳もしますよ。

最後の歌詞に隠された秘密も解き明かしますので、最後までお付き合いください。

愛し合っているのに、すれ違う君と僕

分かり合ってるふりはいいから 所詮僕らはアリスとテレス
なのになんでどうしてなぜ今日も 君はアルキメデス

絡み合って突っつき合うのにも 理由がないといけないのならば
その手放して 走って 裸足で 探し出して来たげるよ

出典: ソクラティックラブ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

ただ一緒にいるというだけで、「分かり合ってるふり」をしたところで、「僕」と「君」は他人同士と、

自分の理解者である「君」を突き放すような歌詞から始まる歌い出しです。

「アリスとテレス」と、わざと哲学者であるアリストテレスの名前の「と」だけを平仮名にしているのは、

いつも一緒にいて二人で一つのような顔をしてみたところで、

アリストテレスという一人の人物の名前でさえ「と」をひらがなにしただけで、二人の人のようになる。

つまり、「僕」たちはもともと「と」で区切られる存在で、「所詮」他人に過ぎないと言っているのです。

そうやって「僕」は突き放すのに、「どうしてなぜ今日も 君は」「僕ら」の関係に何かの答えを出そうと歩き続けるのか。

「アルキメデス」は哲学者である「アリストテレス」に対して数学者で、答えの出る学問を探求する存在です。

「絡み合って突っつき合うのにも」という歌詞からは、「僕」と「君」が肉体関係を持っているということが伺えます。

つまり、そういうことをするのに、付き合っているからとか、愛し合っているからという「理由」を欲しがる「君」に対して、

そんなに「理由」が欲しければ探してきてやると言っているのです。

ただし、それを探すためには、一度「君」の手を離す、すなわち距離を置くとも。

「僕」のことが好きな「君」はそう言われてしまったら突き放すことができず、今日も一緒にいるのでした。

難しい歌詞ですが、二人の関係性に恋人や、夫婦など、共にいる理由が欲しい彼女と、そういった枠組みの方は信じておらず、

ただ共にいるという事実を重視している彼という意外とありそうなシチュエーションが見えてきましたね。

彼はどうしてそういった関係性になろうとしないのでしょうか。

続きの歌詞も見ていきましょう。

英語歌詞を和訳!歌詞に込められた意味とは...?

So I'm gonna sing this harmony cuz I'm mystic don't wanna scammony
does anybody really wanna follow me?McCartney leads 'let it be’
now open up your mind and be retarded like this is your final
chance to have you dirty spermies out out out

出典: ソクラティックラブ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

(僕は神秘主義者でスカモニアはいらない、だからこそ僕はこのハーモニーを歌うんだ。

だって、誰が僕のことを根掘り葉掘り知りたいと思うだろうか?

マッカートニーは「なるようになれ」という真理にたどり着いたぞ。

君もさあ心を明け渡して、子供じみたことでもいいからこれが最後のチャンスだと思ってその汚い本心を全て吐き出してしまえよ。)

和訳してみましたが意味はわかりますか?

「スカモニア」は中世医学で使われた強力な下剤です。

そんな「スカモニア」をいらないといっているということは、つまり、前の歌詞の内容とも繋がってきましたが、

"harmony"(調和)を望む"mystic"(神秘主義者)の「僕」は自分をさらけ出してはっきりさせることを嫌っているのですね。

理由は、「スカモニア」が植物の根っこから作られる薬剤であるように、自分の根っこの部分まで知りたいという人なんているわけがないから。

しかし、一方で「君」に対しては全てをさらけ出させようとしていますね。

「君」も本当は関係をはっきりとさせたいというよりも、今の曖昧な関係が不安だからそれを要求しているのであって、

自分が「君」の本心を知りたいと思うように「君」も「僕」の心を何よりも知って安心したいと思っているということに気がつかない「僕」は、

歌い出しの歌詞のように「君」を突き放したようなことを言ってしまうのでした。

男性と女性の微妙な思考回路の違いがすれ違いを生んでいるのですね。

「僕」も「君」の本心を知りたがっていることから、歌い出しで突き放していたのは嫌いだからというわけではなかったのです。

続きの歌詞も見ていきましょう。

ただ一緒に歩ければいい、そう思っていた

寂しさの隣に君がいて 悲しさの隣に僕がいた
寂しさ 悲しさ 手を繋いで 僕ら二人を会わせたんだ

四人で並んで歩けばいい 手と手を繋いで歩けばいい
一人よりも 二人よりもほら 賑やかで楽しいほうがいいから

出典: ソクラティックラブ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

「四人で並んで歩けばいい」という歌詞から、あと二人は何処から来た!?と驚く人もいるかもしれませんが、擬人化ですね。

「寂しさの隣に君がいて」「悲しさの隣に僕がいた」という「寂しさ」「悲しさ」を人に例えて、

「君」の「寂しさ」ごと、「僕」の「悲しさ」ごと、一緒に生きていけばいいと言っているのです。

一人でいると重くのしかかる感情でも、「二人」が「四人」になると思えば「賑やかで楽しい」と思えるのではないかということですね。

要するに、お互いが持つ負の感情が「僕ら二人を会わせた」のだから、そのままの自分たちでいいと言っているのですね。

君の想いを信じられないのは、本当は僕に自信がないから

君は僕が愛しいと言うけど それは僕のナニを指すのだろう
僕を僕たらしめるものが何なのか 教えてよ

例えば
顔が半分に 腕が二、三本に 眼が五等分にちぎれちゃって
脳みそが隣人に 声が宇宙人に アレが人参に
変わっちゃっちゃったとしても 君は僕だと言えるの?
僕の何が残っていれば僕なのだろう?

出典: ソクラティックラブ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎