ヨルシカ【雨とカプチーノ】
2ndアルバム『エルマ』収録曲
独特の言葉選びや世界観でボーカロイドにはない人間的な表現をするため結成されたヨルシカ。
ボカロPとしても活動するn-bunaが作り出すメロディとsuisの美しい歌声が繊細なハーモニーを奏でます。
素顔を公表しないことでその存在はベールを被ったままですが、その理由を次のように語っていました。
「先入観で音楽を聴いてほしくない」とのコンセプトから、2019年11月現在2人の顔や詳細なプロフィールは公開されていない。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨルシカ
先入観を持たずに、純粋に音楽を楽しんで欲しいというコンセプト。
だからこそ、彼らの音楽には「物語」という非常に深い意味が込められているのです。
物語のコンセプトアルバムとして
そんな彼らが2019年にリリースした2ndアルバム『エルマ』。
今回はこのアルバムに収録されている【雨とカプチーノ】を紹介します。
1stアルバム『僕は音楽を辞めた』から続く物語が楽曲に投影されている、彼ららしい世界観が詰まっています。
音楽家にとどまらないクリエイティブな感性をもっているせいか、常に物語が軸になっているわけです。
物語のために書き下ろされた楽曲でアルバムが構成され音楽アルバムの域を超えた新ジャンルかもしれません。
前作の1stfullAlbumだから僕は音楽を辞めたの続編で、n-bunaの描く物語を軸に楽曲を書き下ろしたコンセプトアルバムとなっている。 今作は、旅をしていた前作の主人公、青年エイミーから送られてきた手紙に影響を受けた少女“エルマ”が曲を手掛け、エイミーと同じ道を辿るというストーリーとなっている。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/エルマ_(ヨルシカのアルバム)
アルバム自体が物語になっているのですが、その中の1曲【雨とカプチーノ】はどんな曲でしょうか。
本記事では、曲を手掛けたいう設定の“エルマ”の気持ちになって歌詞を独自考察してみます。
最後まで楽しんでご覧ください。
MVをチェック
![](https://img.youtube.com/vi/PWbRleMGagU/0.jpg)
まずはこちらのMVをご覧ください。
終始アニメーションで描かれる【雨とカプチーノ】の世界観。
無表情の寂し気なエルマと、姿はあるけれど顔が描かれていないエイミーとの関係も気になるところです。
『エルマ』は前作『僕は音楽を辞めた』の続編でエイミー目線での物語であると紹介しました。
そして『僕は音楽を辞めた』に収録されている【詩書きとコーヒー】のアンサーソングでもあります。
前作では、一緒に音楽を作っていた2人でしたが、何らかの理由で続けられなくなりました。
エイミーはかつて、「エルマが僕の音楽」であることを歌っていましたね。
つまり音楽を辞めたというのは、エルマとの関係が変わってしまったことを意味していました。
原因や理由はどうあれエルマを失ったことで、エイミーは音楽から離れてしまったのです。
この背景が本楽曲の物語にも繋がっていると思ってみると、エルマのエイミーに対する気持ちが感じられます。
MVの中でピアノを弾いているエルマは、どんな想いを綴っているのでしょうか。
それではここからはその気になる歌詞を見ていきましょう。
【雨とカプチーノ】のタイトルに込められた意味とは
「雨」「カプチーノ」から連想できるもの
「雨」と聞いて連想するのは悲しみや、孤独感、涙などネガティブな感情です。
これはエイミーがエルマに抱いている感情とも読み取ることができます。
そして「カプチーノ」から連想されるのはミルクとコーヒーの層です。
カプチーノはミルクの泡が混ざり合わずにコーヒーに蓋をする飲み物。
コーヒーでもミルクでもなく敢えて、カプチーノ。
なぜカプチーノなのかは、歌詞を見ればその理由が見えてきます。
カプチーノみたいな色
灰色に白んだ言葉はカプチーノみたいな色してる
言い訳はいいよ 窓辺に置いてきて
数えきれないよ
灰色に白んだ心はカプチーノみたいな色してる
言い訳はいいよ 岬ろうカプチーノ
戯けた振りして
出典: 雨とカプチーノ/作詞:n-buna 作曲:n-buna
1行目と4行目からは「言葉」と「心」が白黒つけられない灰色、つまり不安定な状態であることがわかります。
ミルクにもエスプレッソにもなれない中途半端なカプチーノに自分の状況を重ねているのではないでしょうか。
また、カプチーノはカフェオレやカフェラテと違って混ざりません。
ミルクがクリーム状の泡になっているからです。
このことからもどっちにもならないすっきりしない心の状態を表現しているのでしょう。