アルバム「絶体絶命」

【ものもらい/RADWIMPS】聴けば聴くほど深い歌詞に感動…意味を徹底解釈!ギターコードも紹介の画像

「ものもらい」はRADWIMPS通算6枚目のアルバム「絶体絶命」に収録されています。

アルバムタイトル「絶体絶命」は、危険が迫り追い詰められているという本来の意味に加え糸(いと)色(しき)体、糸(いと)色(しき)命というメッセージが込められています。

命と体、つまりは生と死というはっきりとしたコンセプトをもとに生み出されたアルバムといえるでしょう。

このアルバムに収録された「ものもらい」も、当然このコンセプトを踏襲しています。

RADWIMPSのみならず、音楽にとって普遍ともいえる生と死というテーマに基づいて生まれた「ものもらい」の歌詞について徹底解釈していきます。

交錯する「君」と「僕」・時空を彷徨う浮遊感

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幅広い解釈が可能な懐の深さ

「ものもらい」という曲の解釈にひとつの答えはなくその歌詞は聴く人や、聴く人のその時の感情によって表情を変えていきます。

聴く人の数だけ解釈がある多面性を持つ楽曲といえます。

何度も入れ替わる「君」と「僕」

この曲に登場するのは「君」と「僕」のふたり。

この「君」と「僕」はその時々で、自分であったり、他者であったり、自分の内面であったりします。

主語である「君」と「僕」が何度も交錯することによって聴き手の視点も移ろっていきます。

自分という存在の意味が交錯する中で、自分は一体何者なのかという問いが生まれるのです。

生と死を前にして生じる不安

曲中で、歌詞過去・現在・未来を縦横無尽に彷徨います。

自分は何者なのかという問いに加え、今はいつで、ここはどこなのかが分からない。

いつのまにか時空の迷路に迷い込んだような、宇宙空間をあてもなく彷徨っているような、そんな浮遊感と一抹の不安を覚えます。

その不安は生と死に向かい合った時に生じる不安に通じるのかもしれません。

タイトル「ものもらい」が秘めるメッセージ

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一般的に「ものもらい」というとまぶたが腫れるあの症状を思い浮かべる人が多いと思います。

しかし、作詞作曲を手掛けた野田洋次郎は「ものもらい」という言葉を何らかの比喩として、メッセージとして込めたのではないかと思います。

何かを「もらう」ことで起こるものもらいという「炎症」

誰かにもらうことは、嬉しい楽しいだけのものではない。

少なからず痛みや切なさを伴うというメッセージと受け取ることもできます。

あるいは、まぶたが腫れて視界が狭まったことの表現とも考えられます。

それでは歌詞を見ていきましょう。

いつかなくなってしまう「僕」

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不確かな自分という存在

いつだってここにあるこの腕や耳や目を
僕は探したりなど したことはないけど

何かを探すのには いつも使うくせに
いつかなくなるなんて 考えもしないんだ

出典: ものもらい/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

静かなイントロから囁くように始まる曲の冒頭。

「いつだってここにある」という現在形です。

「腕や耳や目」は自分自身を表していると考えられます。

自分自身は「いつだってここにある」もので、「いつかなくなる」つまり死んでしまうことなんて「考えもしない」という解釈もできます。

アルバムのコンセプトである生と死が、ここでも感じられます。

自分では見ることのできない自分自身