太宰治とその死
あなただけが天に昇ってゆく
玉川上水
さらばふたり グッド・バイ
未遂に終わって
あなたひとり Dog Die
出典: ワンピース心中/作詞:松永天馬 作曲:浜崎容子
いよいよ大事な箇所に突入します。
玉川上水は実際に太宰治が入水自殺を遂げた場所です。
愛人である山崎富栄との心中でした。
もちろん心中未遂ではなく完遂です。
松永天馬はこのときに太宰治をモチーフにしたあなただけを死亡させます。
わたしは生命をとりとめて生き残ったという設定に変えてしまうのです。
「グッド・バイ」は入水自殺目前の時期に太宰治が書いていた未完の小説のタイトル。
タイトル自体が暗い予感を暗示させたことでしょう。
実際に太宰治は小説を完成させないままこの世界とさよならしてしまいます。
しかし松永天馬はこの心中完遂を未遂だと置き換えました。
この後もわたしだけが生命力をみなぎらせてその後も恋に生き続けます。
しかしあなたはここで犬死して人生を終えるのです。
こうしたアーバンギャルドの設定には深い意図があります。
太宰治は小説家になる前に心中未遂で相手だけを死なせてしまった過去があるのです。
松永天馬はこの事実にこだわり続けます。
わたしは何も考えたくないのに
言葉よりも恋が大事
恋に生きることが大事
おもちゃならばおもちゃにして
想いわずらうことすらできないお人形にさせてよ
出典: ワンピース心中/作詞:松永天馬 作曲:浜崎容子
松永天馬自身がかなりの言葉の人です。
言葉の人は観念ばかりを膨らませてしまうために恋などの実体験を軽んじます。
太宰治にもこうした傾向があるのかもしれません。
松永天馬はその点を自己批判するようにこのラインを加えました。
確かに現実の恋愛に勝るような価値ある言葉はないといっていいです。
また太宰治の「斜陽」で書かれる「恋と革命に生きる」ことの意義が歌われます。
アルバム「鬱くしい国」は安倍晋三首相の「美しい国」へのアンチテーゼです。
そのオープニング・チューンで太宰治の「恋と革命に生きる」のラインを上書きしてみせます。
かなり挑発的な書き口であって、こうした点こそがアーバンギャルドの魅力でしょう。
一方で太宰治のパーソナリティへの批判が登場します。
おそらく太宰治という人はかなりバイタリティの強い人だったのでしょう。
好きになった相手を感化させてしまう力には計りし得ないものがあったはずです。
しかしわたしは遊びで恋をしているならばおもちゃにすることに徹して欲しいと願います。
太宰治に感化されて思い煩うことが増える女性の気持ちを考えたことがあるのかと迫るのです。
ワンピースを着せられたお人形に徹することができたなら、もっと幸福な恋ができただろうに。
現代でもわたしを夢見るシャンソン人形のままにしてくれたならば可愛いままでいられるのです。
入水自殺の溺死体となって打ち上げられるなんて酷い運命は訪れません。
荒んだ時代が背景
太宰治最大のベストセラー
ワン、ツー、ピース ふたりの
心中 斜陽の恋さ
ワンテークでキスして
ワンシーン、カット 飛ぶのさ
出典: ワンピース心中/作詞:松永天馬 作曲:浜崎容子
「斜陽」は没落貴族の家庭を描いてベストセラーになりました。
太宰治の最高傑作は何かという議論はきりがないでしょう。
しかし太宰治の生前に一番売れた小説となると「斜陽」になります。
松永天馬はもちろんこの固有名詞の「斜陽」についても語っているでしょう。
しかし普遍的な言葉としてわたしの恋は心中未遂によって斜陽になったという表現もします。
未遂とはいってもあなたはもうこの世にはいません。
わたしだけが一命をとりとめた結末になった恋です。
映画のようにインスタントにキスを交わします。
その後にあなただけが昇天しました。
わたしはあなたを間接的にでも殺めてしまったことに何の悔恨もありません。
太宰治は自分ひとりで生き残ってしまった最初の心中について作品の中で言い訳を繰り返しました。
どちらにしても奪われた生命は戻ってきません。
しかしわたしがあなたの生命を顧みない軽さのようなものが気になるでしょう。
かつて人の生命は軽すぎた
ワン、ツー、ピースサインの
心中 しゃぼんの夢さ
お命くださいくれないナイフ
ワン、ツー、ピース よごしてさ
ワンピワンピワンピワンピワンピース…
ワンピワンピワンピワンピワンピース…
出典: ワンピース心中/作詞:松永天馬 作曲:浜崎容子
ピースサインで心中するくらいの軽さというものが一貫しているようです。
心中とは本来重い罪と罰を背負うものでしょう。
しかしわたしが考える心中は軽やかです。
しゃぼん玉のように必ずパチンと弾ける夢のように心中する恋を描いています。
人の生命自体がしゃぼん玉のようなものです。
童謡の「しゃぼん玉」はまさに幼子の生命が壊れて消えたということの鎮魂歌ですから。
昭和初期は戦争の影響も大きかったです。
戦争ほど生命というものを軽んじるものはないでしょう。
生命というものが吹き飛んでしまう過酷な時代を太宰治は生きていたのです。
太宰治の恋に生命を賭けた思いの傍には死というものが身近にあった時代の空気が存在します。
簡単に生命をくれとかくれないとか語ってしまう背景には荒みきった時代の風潮が影響しているのです。
アルバム「鬱くしい国」には「戦争を知りたい子供たち」という強烈なナンバーもあります。
時代がきな臭い雰囲気を醸し出していることに松永天馬はこの頃、非常に敏感でした。