僕の背中は自分が 思うより正直かい
誰かに聞かなきゃ 不安になってしまうよ

出典: https://twitter.com/11noxon11/status/932641858617929728

よく「子は親の背中を見て育つ」といいます。

表情や行動がわからない後ろ姿。

それを見て子が育つということは、背中にはその人の生き様が現れるということかもしれません。

自信を持っていればたくましく、何かに悩んでいれば丸まって小さく、背中はその人にあわせて表情を変えます。

僕は自分の背中がいったいどんな表情をしているのか、とても気になっているようですね。

他人に確認するということは、自分では正直に生きているつもりなのでしょう。

ただそう思っていても、そこに自信を持つには至っていないということ。

自分が進むべき方向は間違えていないか、やり方は正しいのか、1人で判断できないのです。

そんな不安から、ついつい他人の意見に頼ろうとしているのでしょう。

かつて誓ったから

旅立つ僕のために 誓ったあの夢は
古ぼけた教室の 隅に置き去りのまま
あの泥だらけのスニーカーじゃ 追い越せないのは
電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど

出典: https://twitter.com/11noxon11/status/932641858617929728

いつでも前向きに考えて進んできたつもりだけど、後ろを振り向かない分、自分自身がよくわからないということもあります。

突っ走りすぎて気が付けば、周りの声援に応えられるようにと、自分の望んでいることができていなかったり。

時間とともに成長していると思いたいけれど、誰かの「それでいいんだよ」という一言が欲しいとき、ありますよね。

いつでも大切にしたいこと

どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言えるきもち 抱きしめてたい

どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから

出典: https://twitter.com/RecordAwardBot/status/924977130357760002

好きなものを好きだと言い続けることは実は簡単ではないのかもしれません。

大人になったんだから、とか、現実はこうなんだから、とか周りから予防線を張られてしまうとなおさらです。

でも大切なことはいつもとてもシンプルです。それは「好きであること」「楽しくあること」です。

その大切なことを実践することで、それが自分らしさに繋がっていくのだと教えてくれていますね。

わざわざ「抱きしめる」と表現していることからも、好きなことを好きだと言い続けることの難しさが感じられます。

こんな難しさも含め、好きなことをやり続ける上では様々な障害が目の前に現れることでしょう。

しかし歌詞の続きを見てみると、こんなネガティブな感情でさえ必要なものだと綴られていますね。

何かに悩み、深く考える過程で、これまで見えていなかったものが見えることもあります。

そうして視野が広がることで、悩みは解消し好きなものをもっと好きになれることでしょう。

当たり前かもしれないけれど見失いがち。そんな大切なポイントを槇原さんは教えてくれました。

夢を叶えるためなら

もしも他の誰かを 知らずに傷つけても
絶対譲れない 夢が僕にはあるよ

出典: https://twitter.com/BXD0zoGLVCp6ivc/status/932624997377441792

ここのフレーズは、パッと見ただけだと自己中心的な印象を与えかねない表現がされています。

自分のためなら他人がどうなってもいい。まるでそう言わんばかりのフレーズですね。

ただこれは、実際に夢を叶える過程で誰もが経験したことのある話ではないでしょうか。

例えばスポーツをやっていて、大会に出場できるのはたった1人だけだとしましょう。

そうなればきっと誰もが、その出場権をかけて必死に努力しますね。

しかし1人が選ばれるということは、その裏で大多数の夢が叶わないことを意味します。

まさにこれが歌詞で語られている状況でしょう。

大会に出場出られなかった人たちは苦しみ、悲しみ、辛い気持ちを味わいます。

しかし僕は自分の夢のために進み続けるしかありません。

僕は自己中心的なのではなく、自分の夢に対して常に本気だったのです。

今の自分を超え続けるために

“昔は良かったね"と いつも口にしながら
生きて行くのは本当に嫌だから
消えたいくらい 辛い気持ち抱えていても
鏡の前笑ってみる
まだ平気みたいだよ

出典: https://twitter.com/BXD0zoGLVCp6ivc/status/932624997377441792

前に進む、と言葉で言うのは簡単ですが、いつも舗装された道路を歩いて行けるわけではありません。

時には茨の生い茂る道を棘をよけながら進まなくてはいけないこともあるでしょう。

まだ笑顔を作る余裕があるなら大丈夫、と自分に言い聞かせながら…。

僕は進み続けているのです。

もちろん険しい道を進むことは大変ですが、僕はそれを乗り越えて常に進化し続けたいと願っていますね。

歌詞1行目にあるとおり、昔の自分に負けたくないと強く願っています。

そんな揺るがない思いがあるからこそ、どんなに険しい茨の道でも歩いていけるのでしょう。

人を想うパワーの大きさ

どんなときも どんなときも 
ビルの間きゅうくつそうに
落ちて行く夕陽に 
焦る気持ち 溶かして行こう

そしていつか 誰かを愛し 
その人を守れる強さを
自分の力に変えて行けるように

出典: https://twitter.com/T7023_bot/status/934562897052631040

夕暮れ時、ふと空を見上げたらオレンジ色の太陽がビルとビルの狭間にすっぽりはまっているかのように見えます。

今日は何ができたのだろう?どれだけ進めたのだろう?と不安になりながら夕暮れを眺めることもあります。

でも、こういう時こそ発想の転換が必要なのかもしれません。

コップに半分の水が入っている状態を見てどう思うか、です。「もう半分しかない」のか「まだ半分もある」のか。

まだ半分もあるとポジティブに捉えられれば、今日はこんなこともできた!明日はもっとできる!と活力に変えることができそうですよね。

続く歌詞後半を見てみると、今度は自分ではない「誰か」が登場していますね。

僕は自分が好きなことをやり抜くために覚悟を決めていました。

それを成し遂げるためのパワーは当然自分自身から生まれてくるものでしょう。

しかし時に、それだけでは前へ進めないこともあります。

そんな時に必要なのが、ここで登場した「誰か」を想うことで生まれるパワー。

自分を支えてくれる人。自分を肯定してくれる人。

そして自分を愛してくれる人。

僕は自分にとって大切な人を、僕自身の手で守りたいと考えているようです。

となれば、僕が背負うものは何倍にも大きくなるでしょう。

僕が何かをやり抜くことは、僕だけでなくその誰かを守ることにも繋がるのです。

たった数行のフレーズですが、未来を想像する僕の気持ちがギュッと詰めこまれていました。