「性善説」amazarashi
「性善説」 MV
ケルト音楽のような3拍子のイントロから始まるMV。子供を探す母親と、謎の「DAY1300」つまり「1300日目」という表示に引き込まれます。貧しさの中に愛のある生活が描かれていきます。
間奏ではバグパイプらしき音も聞こえ、ますます民族音楽的になっていきます。2:18~母親が聖母マリアのイメージと重ねられ、「善の存在」として意識されます。
※MVのネタバレが書いてあるのでスクロール注意
間奏が終わり、変わっていく世界
間奏終わり、登場人物たちの表情は曇っています。糸車を回して中世的な生活を送っていた親子の元に、登場する自動車。彼女たちをどこへ運んでいくのか…。
ここで冒頭のシーンへ戻ります。この時点が1300日目だったのですね。何らかの公的な人間(警察官)に連れ去られる息子。
そして5:20~の場面。母親が息子の元を離れた間に、偽の母親が子供を盗んでいたという衝撃の事実が明かされます。1300日とは偽の母親が子供を育てた日々であり、子供が盗まれていた日数だったのです。
駅の看板には
駅の看板には上段に「anti nihilizam(反虚無主義)」下段に「Zlo(悪)」「Doblo(善)」と書かれています。「anti nihilizam」はamazarashiの掲げるコンセプトです。
バンド名は「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝しだが“それでも”というところを歌いたい」から名付けられた。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/Amazarashi
秋田ひろむが書くのは、この世はクソッたれだけど「それでも」ということを歌った曲ばかりですよね。
母親が走る向きにも注目しましょう。「悪」へと向かっていきます。ここで思い出したいのはamazarashiが善と悪の二元論を否定し続けてきたことです。
このMVで言えば誘拐犯の元から、本当の母親へ子供を戻すことは「善」に見えます。でも子供の辛そうな顔を見れば、警察の行為は「悪」だと言えるでしょう。善と悪は常に両立するのです。
だから偽の母親は誘拐という「悪」へと突き進みますが、同時に愛のある子育てという「善」なる行いをするのです。その「悪」と「善」に切れ目は有りません。
確かに誘拐犯は悪の道を突き進んだのかもしれない。でもその行いは誰から見ても悪というわけじゃない。このような形で二元論への痛烈な批判になっています。
息子への愛と共に死ぬ
最後に自殺する偽の母親、手に持っているのは子供がこっそりと集めた花です。雪の中に育つ花と、苦しい逃亡生活の中に育つ親子の愛が重ねられています。どちらもよく探さなければ見つかりません。
あの花を持っていることは、母親が子供を連れ去られてすぐ自殺したこと、そして子供への愛ゆえに死んだことを端的に示しています。
「性善説」 歌詞
MVを初めて見る方の衝撃を奪いたくなかったので触れませんでしたが、ここから歌詞の解釈に移っていきたいと思います。
キリスト教の教え
ねえママ あなたの言う通り 彼らは裁かれて然るべきだ
奪えるものは全部奪っていった 崩れたビルに 戦車と夕日
ねえママ あなたの言う通り 隣人は愛して然るべきだ
陰口ほど醜いものはないわ 手を取り合って 微笑み合って
こんな時代に 生き延びるだけでも 容易くはないわ どうか幸せに
出典: 性善説/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ