ユニコーンとは?
そもそも今の10代、20代の若い世代がユニコーンを知っているのでしょうか。
40代の筆者があなた達世代で聴いていたバンドと言えば「ユニコーン」「ザ・ブルーハーツ」「ジュン・スカイ・ウォーカーズ」でしょう。
ここの読者も多少は同世代がいて、共感してくれる方も居るとは思いますが、筆者は「ユニコーン」の大ファン。特に阿部義晴の楽曲に酔いしれていた少年でした。
ユニコーンとは、奥田民生、阿部義晴、川西(西川)幸一、手島いさむ、EBI(堀内一史)の5人からなるバンドです。
結成当時は阿部の代わりにみどりちゃん(向井美音里)がいて、実はみどりちゃんがいるメンバーがオリジナルとあまり知られていません。
ちなみにみどりちゃん脱退の理由はEBIと結婚したから。結婚式当日まで誰と結婚したか他のメンバーには明かさずにいたというエピソードが残っています。
阿部義晴を除いたメンバーは広島出身、最年長の川西が奥田をボーカルにバンドを結成したことからユニコーンが始まります。
初期の楽曲はハードロックに近い楽曲が多く、今のユニコーンの楽曲からは想像がつかないほどのギャップがあります。
3枚目のアルバムを出した辺りから、音楽的に何でもありになり、名曲「大迷惑」はフルバンドでの演奏を目的とせず、意図してオーケストラの楽曲として作成された経緯もあるくらい、音を楽しむという音楽そのものの本質を、5人全員で表現していました。
80年代後期から解散するまでは空前のバンドブーム、それでも異彩を放ち続けていたのはプロデューサー笹路正徳の手腕によるもので、笹路がプロデューサーから離れてもその流れは変わりなく、独自路線を突き進んでいました。
1993年、突然の解散。解散までに起こったことは次項に書き記しますが、メンバーの仲違いでの解散でなかったと奥田はソロ活動の折に語っています。
ではユニコーンはなぜ解散したのでしょう?
ユニコーンはなぜ解散したのか?
1993年9月、バンドボーカルだった奥田民生は自身のラジオ番組内で突然の解散報告を行います。
この発表には番組のプロデューサーもSMC(所属のレコード会社)も知らなかった様子で、ファンはもちろん、関係者も驚く一幕でした。
解散の予兆は解散発表から約1年前、リーダーでドラムの川西が突然ユニコーンから脱退したことに始まります。
ツアー途中で川西が脱退、代わりに古田たかしを代理ドラマーとして向かえ、新体制になりましたが、レコーディング中の奥田の一言で解散が決まったと本人が後に語っています。
バンドとしてやることがなくなってしまった
ユニコーン解散の理由は、ソロになった奥田自らが音楽番組で語っています。
「ユニコーンとして音楽を作る意味がなくなったのではなく、自分たちのやりたいことが無くなった」
この一言は衝撃でした。なにせ奥田民生はユニコーン解散から2年休養を取り、琵琶湖や河口湖でバス釣りばかりしていて、突然ソロ活動をはじめ、ヒットを飛ばしたと思ったらユニコーン解散理由を明かして驚かせるのですから。
確かに解散前にはベストアルバムを作り、オーケストラをバックに「大迷惑」を唄い、日本武道館と地元広島のスタジアムライブを成功させましたが、まさかファンは解散をするなんて、と当時のファンなら思ったはず。筆者もその一人でしたから。
でも民生の語った理由は、ファン全員が悲しむよりも歓迎していました(驚いてはいましたけど)。なにせ解散ライブの最中、民生と阿部が「お互い40過ぎたらまた集まって、その時できる曲を作ろう」と語ってましたから。
そのためファンの心理として、ユニコーンは解散というよりも長期有給休暇といった意味合いが強く、再結成もなんだか当たり前のように受け入れてしまったのです。
そして2009年、50歳を手前にしたオリジナルメンバーのユニコーンが帰ってきたのです。
ユニコーンはなぜ復活したのか?
ユニコーンは2009年に突然復活します。
知らない人は「は?誰あれ?」とそんな感じでしたね。なにせメディアに頻繁に出ていたのは奥田民生だけ。
ファンとしてこの時の市場心理がとても痛快で、しかも復活第一弾のシングルが往年のユニコーンにさらに磨きがかかっていて安心しました。
復活のきっかけは奥田民生が盟友・阿部義晴の「阿部義晴音楽祭~仲間とノリノリ40祭~」を開催した時のゲストとして演奏したことが一番のきっかけです。
この時、奥田と阿部はEBI、手島を誘い、川西の下へ「5人で新曲を作らないか?」と持ちかけます。川島は快諾し、解散して再結成はなんだか恥ずかしいから、再結成とは言わずに、解散がなかったことになっています。つまりは長い休養期間だったのです。
この話は実は再結成より2年も前、2008年の新年会で阿部は当時のスタッフ(解散当時)とメンバーを集め、再結成を全員が快諾、一年間シークレットとして新曲のレコーディングに勤しんでいました。
そして2009年元旦、突如として公式サイトをオープンし、新年のあいさつと再結成の報告がなされました。
同年2月「WAO!」とアルバム「シャンブル」を発売、同年3月から全国ツアーを開催、大盛況のまま幕を閉じます。
その後はあなたもご存知のように、1年に1枚アルバムをリリースするか、ライブ活動を行っています。
ユニコーンというバンドは伝説的なバンドというよりも、個性的で音楽が好きな5人が、それぞれを表現できる場だと思うのです。
始まりは川西が奥田をライブハウスで見かけ、奥田のファンになった川西が声をかけたことがきっかけ。
そこに個性的なギタリストとベーシスト、アレンジャーが加わり、音を楽しみ尽くした5人がやりたいように表現し続けてきたのです。
今では「大御所」とか「生ける伝説」と言われていますが、デビュー曲「Maybe Blue」を唄っていた当時と何ら変わらないのです。
30年前の曲ですよ、まだ唄える奥田民生の凄さがわかる動画です。
これからの人よ!まずはこれを聴け!
「先ずこれがおすすめです!」とはありすぎておすすめできません。
しかし、2009年に開催したユニコーン復活祭「蘇る勤労」は見ておいて下さい。
40歳を超えたメンバーが、当時の声そのままに唄っています。(川西さんはバテてますが)
ファンならずとも、復活後のユニコーンに興味があったら見てみて下さい。はっきり言って、めちゃくちゃかっこいいですよ!
では、これからユニコーンのファンになるあなたへ、熱狂的なファンから送る3枚を紹介します。
「ベリーベストオブユニコーン」
- Maybe Blue
- Pink Prisoner
- ペケペケ
- I'M A LOSER
- SUGAR BOY
- 服部 (シングル・ヴァージョン)
- デーゲーム (服部仕様)
- おかしな2人
- 大迷惑 (シングル・ヴァージョン)
- 人生は上々だ
- 自転車泥棒
- 働く男
- フーガ
- スターな男
- ヒゲとボイン
- 雪が降る町
- 与える男
- すばらしい日々
これは買うべきです。ユニコーン解散前の歴史が全て詰まっています。
「大迷惑」「雪の降る街」「すばらしい日々」名曲と呼ばれるすべてが詰まったベスト盤です。
ユニコーンを初めて聞くなら本当におすすめの一枚です。
ちなみに16曲目の「雪の降る街」はこのアルバムにしか入ってません。