誰の声も届かないほど
深い場所で生まれた呼吸
ひとりぼっちのその手を
引っ張って連れてくよ この手で

出典: BUMP OF CHICKEN/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

ボーカルである藤原基央さん、彼の独特な惹きつける声で歌われるこの曲。

比較的音数の少ない楽曲だからこそ、よりその声と歌詞が頭に入り残りやすくなっています。

我慢している人や、何かを抱えている人へ響くであろうこの優しげな歌詞

引っ張って連れてくよ、という一緒に歩んでくれるフレーズ。 

沈み込んだ深いところに立ちすくんでいる自分を引っ張り上げてくれる、明るい光差すイメージが湧いてくるようです。

自問自答する繊細な描写

呆れるくらい自問自答 やっぱり答えはないみたい
おそらくそんなことなはい 答えに見つかりたくない

平気な顔してみたって 普通に扱われると
なんだか納得できない 知らんぷりされたわけじゃない

出典: BUMP OF CHICKEN/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

誰かに強要されるわけでもなく自分で選択した我慢なのに、その我慢による相手の反応に納得ができず腑に落ちないこと、ありませんか?

筆者はこの歌詞を読んで1番の歌詞に続き、更にどきっとしました。

あまりにリアリティに富んでおり、現実の景色や思いと重なってくるような感覚にすらなりませんか?

 

自分の中で解決させただけで見返りを求めるわけではないけれど、「なんだか納得できない」ことが起こることはきっと誰しもあるはず。

「なんだか納得できない」、このフレーズはこの曲の中でもキーとなる言葉だと思われます。

「我慢」のもう一つの意味

わがまま 肥大した自意識がだだ漏れ
そんなやつ馬鹿にしつつ 鏡見たような気分

出典: BUMP OF CHICKEN/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

さて、実は我慢という言葉の意味は「耐えること」以外にもあるんです。

我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。強い自意識から起こす慢心のこと。
現在、一般的に自分自身を抑制し、また耐えるという「忍耐」の意味あいで用いられる「我慢する」は、もともと「我意を張る」などという強情な心意を介した転用で、近世後期から言われるようになったとされている。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/我慢

なんと「我慢」には本来「慢心」という意味があったんです!

この歌詞を読んでいると「我慢」の裏には「慢心」が隠れていたのか、とハッとさせられます。

「耐えること」、「慢心」、どちらの意味で捉えても歌詞を深く考えることができますね。

届いて、と願う自分の気持ち

同じものを持っていなくても
同じように出来やしなくても
今ここにいるって事
ここにいる人に 届いて

出典: BUMP OF CHICKEN/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

複雑且つリアリティに富んだ感情が溢れているこの歌詞と楽曲

内側に潜む気持ちや心に気付かされるようです。

直接言葉にすることが難しい感情を、藤原さんならではの言葉で繊細な心理を描く。

そしてサビでは支えるような、大丈夫だよと声を掛けている様な、そんな言葉を紡いでいます。

 

ここにいる人、とは内側の「自分」のことなのかもしれません。

繰り返される自問自答

元気を出すのは誰だ 最後笑ったのいつだ
涙の意味ってなんだ 考える価値などないか

大声出すのは誰だ 最後叫んだのいつだ
忘れた意味ってなんだ 思い出す価値ってなんだ

まともな奴ってどこだ 普通の人って誰だ
隣にいるのは僕だ 隣にいるのも君だ

次に笑うのはいつだ 次に叫ぶのはいつだ
大声出すのは誰だ 元気になるのは誰だ

出典: BUMP OF CHICKEN/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

まさに自問自答、曲の中でも特徴的な部分のこの歌詞。

 「誰」「いつ」「どこ」これら全て「自分」へ向いている言葉なのでは、と解釈しました。

この中で問われているのは「自分」のこと。

「臆病者の僕」と「引っ張ってくれる僕」との自問自答、答えは僕である「自分」の中にきっとあったのでしょう。

行動を起こすタイミングを決めるのは自分、意味も価値も考えるのも自分、全て自分で決める、それがこの自問自答の答えなのかもしれません。

繊細な感情をすくい上げる言葉