BUMP OF CHICKENの代名詞「天体観測」

1996年に幼稚園からの幼馴染4人組で結成されたロックバンドBUMP OF CHICKEN。
2000年にメジャーデビューを果たし、翌年には売上累計55万枚の大ヒットを生んだ
2ndシングル「天体観測」をリリースし、その人気を不動のものにしました。

さて、BUMP OF CHICKENの代名詞と言っても過言ではない「天体観測」ですが、
この曲の作詞作曲を手掛けたボーカルの藤原基央さんの次のようなエピソードを見かけました。

藤原は、この曲のキーワードは「予報はずれの雨」にあるとし、「ラブソングではなく雨の唄だ!」
「答えの無いところに答えを探す歌を書いた」と力説していた。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BD%93%E8%A6%B3%E6%B8%AC_(%E6%9B%B2)

てっきり好きだった幼馴染の女の子の歌だと私は思っていたので、
この話を聞いたとき正直、驚きました。
もちろん、聞き手が「これはラブソング!」と思ったのなら、
この曲はラブソングとして完成させて良いと思うのです。
音楽はアーティストが生み出し、聞き手が聞いて解釈して完成する作品だと私は思います。

しかし、この曲がラブソングではないとなると、どんな意味が込められた曲なのでしょうか?
今回は、「天体観測」を「予報はずれの雨がキーワード」「答えの無いところに答えを
探す歌」といった観点から紐解いていってみたいと思います。

BUMP OF CHICKEN「天体観測」歌詞に込められた意味とは

午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい
二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか天体観測 ほうき星を探して
深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66059

まず午前二時という時間帯ですが、人々が寝静まった時間帯ですね。
星を観測するのにちょうど良い時間であると同時に、
他人から邪魔をされない時間帯でもあります。
つまり星の観測には他の誰の声も必要ではなく、自分と「君」だけが居れば良いのです。

そして、二分後に来た君は大きな荷物を抱えていました。
この荷物には、何が入っていたのでしょうか?
ほうき星が見れることへの期待、それと「深い闇」という歌詞に描写される
不安な気持ちも入り交ざっていたかもしれません。

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」というほうき星 君と二人追いかけていた

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66059

「イマというほうき星」から、望遠鏡を通して見ようとした「見えないモノ」は
ほうき星になぞらえた「イマ」と解釈することができます。

ここで「イマ」について様々な解釈があると思うのですが、
私は『イマ=主人公が現実に生きる今、幼い頃の視点で見ると「未来」』だと思いました。
「未来」を覗いてみると、今まで静まり返っていた所にいくつも声が生まれた…
つまり、自分がやりたいことが溢れていたことを表しているのではないでしょうか。

次に「明日が呼んでも返事をしなかった」の部分ですが、
まず「明日の呼びかけに返事をする」とは、未来の夢を叶えるために
具体的に何をすべきなのか考えることだと思います。
つまり「返事をしなかった」のは、遠い未来を思い描くのに頭がいっぱいで
地に足がついていなかったことの比喩であるように思えます。

気が付けばいつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか
生まれたら死ぬまで ずっと探してる
さあ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して
今まで見付けたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66059

「幸せの定義」「哀しみの置き場」という大人びたフレーズから、
ここでは、大人になった主人公が過去を振り返っている様子が見られます。
大人になっても主人公は、幼い頃から変わらずに「ほうき星(=イマ)」を探しているのです。

そして、ここで天体観測に行ったあの日の情報が増えるのですが、
主人公はあの日、「君」の震える手を握ろうとして結局、握れなかったようです。
「今まで見つけたモノ」がたくさんあるにもかかわらず、
主人公はそのことを今でも後悔している様子がうかがえます。

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ
そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66059

ここでは、望遠鏡を通して見るほうき星を「知らないモノ」と表現しているのですが、
イマ(=幼い頃の視点から見る「未来」)をまだ主人公は見ていないということになります。
つまり、幼い頃に夢見ていた未来を主人公はまだ実現できておらず、
不安の中にわずかな希望(=暗闇を照らす微かな光)を探しているようです。
その過程で感じた「痛み」は、不安の中でもがき苦しみ心が傷ついた様子を表していると思います。

そして、一番の歌詞ではほうき星を二人で追いかけていたはずなのに、
ここでは一人になってしまいました。
「君」は既に、どこかへ行ってしまったのです。

背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった
宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった
僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ
予報外れの雨に打たれて 泣き出しそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66059

大人になるにつれて増えていった「伝えたい事」について考えてみると
自分自身を無理やりに納得させる言葉や、「君」への言い訳といったイメージが浮かびました。

宛名の無い手紙は僕から「君」に出そうとしたものだと思います。
心配事もあまりなく、上手く生きている…
でも、天体観測をしたあの日のことが、今でも主人公の心に引っかかっています。

そして、雨は降らない予報だったあの日、実際は雨が降っていたことが分かりました。
イマ(=幼い頃の視点から見る「未来」)は上手くいきそうだったのに、
実際はそうではなかった…
その雨に絶望した「君」の手を握って、「大丈夫」と言ってあげられなかった自分を
主人公は今でも後悔しているようです。

見えてるモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の 帰り道を駆け抜けた
そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66059

望遠鏡で見ようとしたものが、「見えないモノ」から「知らないモノ」に変わり、
最後には「見えてるモノ」になりました。
幼い頃から望遠鏡で探していた「イマ(=幼い頃の視点から見る「未来」)」は、
主人公が現実に生きる今であるはずなのに、それを見落としてしまっています。

だからまた、主人公は望遠鏡を担いでほうき星(=イマ)を探しに行きます。
「静寂と暗闇の 帰り道」は、幼い頃の気持ちをたどっている描写だと思います。
「イマ」の生き方がこれで良いのか確かめるために、天体観測をしたあの日を思い出す主人公…

そこで主人公は、幼い頃に描いていた未来と現実が違うことを悟りますが、
現実はそう上手くいかないと知った「痛み」が、主人公の成長の糧となっていきます。
既に「君」はいなくなってしまったけれど、それでも主人公は
二人で追いかけていたほうき星(=イマ)を追いかけ続けます。

もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ
始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも
「イマ」というほうき星
君と二人追いかけている

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66059

手紙を出しても返事をくれない「君」に逢いたくて
前と同じ時刻、同じ場所へ主人公はまた天体観測に出かけます。

そして最後に、ほうき星を追いかける人数が一人から二人にまた戻りました。
あの時は二分後に来た「君」が姿を見せなくても
昔と変わらずに「君」も、どこかでほうき星(=イマ)を追いかけているはず…
だから「君」も自分も、これからも「イマ」を大切に生きていこう!
そんな主人公の思いが伝わってきました。