孤独という言葉はよくネガティブな表現として使われがちです。
しかし、本当に孤独とは悪いものなのでしょうか。
自分1人でしか味わえない自由と可能性がある筈です。
訴えられる人生観
もしも、ほんとうの意味でやり直す方法が最後の手段だとしても
砂時計の残り一粒残らず好きに染めて使い切るだけ
出典: 夜天/作詞:薔薇園アヴ 作曲:薔薇園アヴ
この歌詞はおそらく、人生観について語っていると思われます。
「砂時計」は人の人生そのものを表しているのではないでしょうか。
2行目後半は人生を好きに生き、好きなように過ごすという意味に読み取れます。
たとえ孤独であっても、自分の意思を貫こうとする姿勢を示唆しているのでしょう。
前を向いて歩いていく
寂しさ立ち込め輝く星は
強く抱き合う程に砕けては光り いつか
あの頃には戻れないことを思い知るの
それでも喜びはいつも見出すものと、忘れないでいたい
出典: 夜天/作詞:薔薇園アヴ 作曲:薔薇園アヴ
億千万と輝く星々は、今を生きる自分たちと重なる部分がありますね。
「星」は、しばしば亡くなったひとを指す隠喩として用いられます。
しかしここでは孤独に今を生きている人々のことを指していると考えていいでしょう。
では3行目の「戻れない」とはどういった意味があるのでしょうか。
地上から見る星は遠いものです。どれだけ美しく輝いていても、手を伸ばして掴める距離にはありません。
過去の思い出もそうです。
どれほど懐かしく思い、恋い焦がれ「戻りたい」と願っても、あの頃には戻れません。
しかし、喜びとは過去だけに存在するものでしょうか。そんなわけはありません。
未来にだって、喜びは存在しています。
そしてその喜びを見出すのは、ほかでもない自分たちです。
考え方次第・生き方次第ということなのではないでしょうか。
「孤独」の意味
思い詰めてしまった夜の果てわたしたちは出逢い
持ち寄る孤独は星たちのように、胸に宿り
胸に宿し続ける
出典: 夜天/作詞:薔薇園アヴ 作曲:薔薇園アヴ
苦悩の道を歩んできた果てに、人は人と出逢います。
それまでの道のりで抱いた孤独はマイナスなものではないということは、この歌詞からでも明らかでしょう。
3行目~4行目の歌詞の通り、人にとって孤独とは、自分を貫き通すためのものです。
だからこそ「胸」の中に存在し続けるものなのではないでしょうか。
「夜天」で登場した「孤独」を抱えた人々
歌詞に登場した人々の関係性は、思い詰めた孤独な者たちの拠り所によるものでした。
しかし、彼らは孤独だからといって悲しみに暮れているわけではありません。
たとえ孤独であっても自分の意思を持ち、前を向いて歩いていく人々でした。
そういった「強さ」を思わせる関係性だったのです。
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真っ赤な月が印象的な百鬼夜行
通常の黄金に輝く月とは違い、真っ赤な月が浮かび上がる様子は、一見して不気味にも思えます。
しかし曲調は極めて明るく、ポップな調子なのでギャップを感じさせる画面です。
そして、奇抜な衣装に身を包んだ「女王蜂」一行は、まるで百鬼夜行のよう。
通常の世の中とは一線を画した世界観をイメージしていることが窺えます。