渋谷の街と「大河の一滴」と
日本一の繁華街を舞台に据える
2016年6月29日発表、桑田佳祐の通算16作目のソロ・シングル「ヨシ子さん」。
カップリングに選ばれたのは「大河の一滴」、「愛のプレリュード」「百万本の赤い薔薇」。
そのうちの「大河の一滴」について解説いたします。
渋谷の街を舞台にしてちょっと癖のある男が女性との出会いを回想する歌詞が魅力です。
桑田佳祐は地元の神奈川県の街をよく描きます。
しかしずばり「東京」など日本の首都・東京を舞台にした作品もいくつかあるのです。
「大河の一滴」もそうした「東京ソング」の系譜に連なります。
ラテン歌謡のテイストと日本の歌謡曲の融合といったサウンドに著名なアーテイストへのリスペクト。
とにかく内容が豊かで良質な哀愁もてんこ盛りの作品です。
渋谷の街は今や日本一の繁華街・歓楽街。
この街を舞台にした不思議なラブソングである「大河の一滴」。
実際の歌詞を紐解いて解説しましょう。
男女の運命の出逢い
そのとき女は不敵に笑った
砂に煙る 渋谷の駅の
女(アイツ)と出逢ったバスのロータリー
俺の車線に割り込むバスの
窓際から小馬鹿にした微笑(ほほえみ)投げた
出典: 大河の一滴/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
砂に煙るというのは渋谷の埃っぽい街並みや澱んだ空気のことでしょう。
渋谷の街にはバスターミナルがいくつかあります。
西口のバスターミナルが一番駅から至近です。
この歌で唄われるバスターミナルの特定は難しいので深く追求しません。
男は自家用車で女はバスに乗っています。
窓から女が乗り出して見初めたというのですから男はよほどいいルックスだったのか有名人だったか。
桑田佳祐の体験談であったなら後者のような気もしますが彼は妻帯者ですので断定はできません。
いずれにしてもいわゆる運命の出逢いでしょう。
近くに青山学院大学があることを考慮すると桑田佳祐の大学時代の話かもしれません。
もう少しこの先の歌詞を色々と探ってゆくうちに真相に辿り着けそう。
出逢いの瞬間に女が不敵な笑みを浮かべていたというエピソードがいいです。
とことん惚れた男の負け
女は遅刻常習犯
待ち合わせはいつも駅のホーム
またひとつ山手線が出てく
遅れる女(アイツ)に イラついた目で
悪態のひとつでもツイてやろう
出典: 大河の一滴/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
男は自家用車を持っているのに電車の駅で待ち合わせます。
不思議に思うかもしれませんが東京ほどの都会ならば自動車よりも公共交通機関の方が便利です。
女は遅刻常習犯。
こういった人は社会に一定数います。
本人は遅刻することに悪気などもなく、よって特に反省もないです。
「待つ方もその時間を自分なりに消化したでしょう」
そんな謎の理論を持ち合わせている人もいます。
いちいち腹を立てていると毎度喧嘩になりますので注意が必要です。
常識的な話が通じない人はいくらでもいる。
この「大河の一滴」の女もそうした人のひとり。
欠点を持ち合わせていても毎度待ち合わせしてしまうのですから男の負けです。
「いささか自意識過剰気味な男」
実は恋愛ベタな男
時の流れは冷酷だよね
男は自惚れ(エゴイスト) 女は自由人(ボヘミアン)
俺との思い出、抱いて寝てるかい?
けれども電話はかかっちゃこない
出典: 大河の一滴/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
この曲の仮タイトルは当初「いささか自意識過剰気味な男」だったそうです。
男は誰でもそうした自意識過剰な傾向があるのではないでしょうか。
この曲は文句なしにかっこよいのですが男はよく考えるとどこに魅力があるのか分かりません。
どこかに魅力があるのですから女も付き合ったのでしょうが。
いずれにせよこのカップルはそう長くは続かなかったようです。
男と女が完璧に相性抜群であるなんてことはむしろ少ないケース。
また男が自己評価するほどにはこの女は男に執着していません。
恋愛のバランスがはなから不釣り合いだったのです。
冒頭の出逢いの場面での小馬鹿にしたような笑みからすべての力関係が決していたのでしょう。
この男はエゴイストかもしれませんがロマンチストでもあります。
この女ではなく女性そのものへの神聖化を心のうちでしてしまうタイプの男性です。
こうした男性は恋愛を観念化してしまう傾向があるもの。
眼の前の女性への期待が肥大化してしまうのです。
得てして恋愛ベタなタイプの男性といえるでしょう。
主な連絡手段が電話というのが気になります。
最近の若者は電話による通話という連絡手段を「昭和の遺物」のように思っているのです。
この歌詞の時代設定はやはりかなり以前の時代であったのでしょう。
もう少し先を読んでみましょう。