自分勝手に振る舞い、暴力を振るい威圧的な行動をとる人間に対しての毅然とした態度が表現されています。
それと同時に、ドラマの要素を意識したパラグラフでもあります。
「誰かが見てるから」ゲーム終了というのは、取調室の監視カメラを通した視線を意識したフレーズです。
実際、街頭やコンビニに設置されたカメラやドライブ・レコーダーによる犯人逮捕は確かに増えてきたようです。
プライバシーの問題は別に存在しますが、顔、姿のパターン認識、分析精度はこれから飛躍的に向上するでしょう。
悪事には必ず報いがある
「自分は自分、他人は他人」というロジック
悪いことして知らないフリ
人を傷つけて楽しんでる
I don't understand, don't wanna understand
やったことはすべて返ってくる
出典: 最後は必ず正義が勝つ/作詞:AI 作曲:AI・UTA
他者の肉体的痛み、精神的苦痛に鈍感ということは相手の立場になって物事を考えられないということです。
おそらく「自分は自分、他人は他人」という強固なロジックが働いているのではないでしょうか。
「俺はおまえじゃないから、おまえの言うことなどわからない」というのはよく聞く台詞です。
自分の暴力や悪事に知らないフリができるのも、過去の自分と今の自分を完全に切り分けているのでしょう。
周囲の人間にとっては、とても迷惑な話ですが。
因果応報、悪事には必ず報いがある
確信的な「悪」というものは、やはりあるのでしょう。
性善説に立って長所や、人間的な感情の発露を見つけようとしても見つけられない絶対的な悪。
他人の苦痛を我が身に立って想像することができないばかりか、執拗に繰り返す暴力の数々。
陰湿で周到に計算されたストーカー行為、高齢者、障害者、子供など弱者への虐待行為…
報道される事件やDV被害者のブログなどで知る具体的な暴力・虐待行為は、想像を遙かに超えたものです。
積年の恨みによる復讐劇というわけでもなく、平然と実行される暴力・虐待。
そこにはもう嫌悪感しか残りません。
英文にはそういう嫌悪感が込められています。
わからないし、わかりたくもないね。
因果応報という言葉のとおり、確信的な悪には相応の報いがあります。
被害者に光を、そして喜びを
AIが願ったもの
悪にSay Bye 被害者にDaylight
悪にSay Bye 被害者にDaylight 悪にSay Bye
出典: 最後は必ず正義が勝つ/作詞:AI 作曲:AI・UTA
このフレーズのSay byeは、日本語の「成敗」に かけているのでしょう。
daylightは、光、昼の光のことを意味します。
delight(=喜び)と音が似ていますので、ここも先ほどの「成敗」と同じように英語で意味をかけています。
恐怖と不安という闇の中にいる被害者に、救済の光、暖かな陽の光が差し、歓喜に包まれてほしい。
そういう願いが込められたフレーズです。
悪にサヨナラ、悪に成敗、被害者に光を、被害者に喜びを。
最後は必ず正義が勝つ
Justice Will Prevail At Last
ロサンゼルス生まれのクォーターで、母方の祖母がイタリア系アメリカ人。--中略--
LAで10代後半を過ごし、本場のゴスペル音楽に触れたことによりソウルフルな歌を歌う。中低音のハスキーな声が特徴である。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/AI_(歌手)
LAで十代後半を過ごしたAIは、日常の様々な出来事を通して、米国と日本の価値観の相違を多く学び取ったことでしょう。
おそらく、日本の正義の特徴も直観したのではないかと思います。
殺人、強盗などの凶悪犯罪は圧倒的に少ない日本。
ただ、公権力が監視することのない密室(=家庭)で日常的に行われている家庭内暴力や虐待の件数は膨大な数です。
警視庁Webサイトによれば、2017年度の配偶者からの暴力についての相談件数は8,421件。
前年比23.5%の増加であり、2013年度以来、増加するばかりです。
そして、この件数は相談した件数であり、潜在的な被害者は数倍以上にのぼるでしょう。
被害者が声を上げるべきメディアは、センセーショナリズムが優先し、被害者の保護や匿名性は二の次です。
さらにマスメディアはもちろんネットメディアにも、自主規制、自己検閲のコードが網の目のように張り巡らされています。
都合の悪い意見は、常にカテゴライズ、レッテル貼り、編集といった手法で「骨抜き」にするわけです。
本来メッセージ性が強いはずのHIPHOPでさえ、日本ではつぶやき程度のファッションミュージックの体裁。
こういった生ぬるい偽りの平和の中で、AIは、いわば正面突破の正統なHIPHOPを仕掛けたわけです。
Justice Will Prevail At Last.
誰に見られているわけではなくとも、正しいかどうか道理にかなっているかどうかの判断をしろ、と。
暴力や権力でねじ伏せようとする邪悪な心に打ち勝て、と。