今度は過去の誰かに対してのメッセージです。
以前に夢を語り合ったことについて触れています。
「今日は記憶になってますか」と対になっていると考えることができます。
つまり、「あの日のことは今日、記憶になってますか」という問いかけではないでしょうか。
何千回だって 何万回だって
もっとリアルに鮮明に描くよ
遮んないで 見てたいんだって
忘れないようにするので精一杯なんだ
出典: ハイパーリアリスト/作詞:大胡田なつき 作曲:成田ハネダ
「リアルに鮮明に描く」ためには、しっかり見て記憶することが大切です。
目に焼き付ける作業で精一杯ということです。
描かれるリアルとは、目の前で起こること全てではないかと。
劇的な出来事から、ごくごく普通の日常まで全てが創作のモチーフになり得るということでしょうか。
宛名のない手紙はどこへ行く?(解釈まとめ)
宛名のない手紙が届くまで
何千回だって 何万回だって
もっとリアルに鮮明に描くよ
何千回だって 何万回だって
忘れないようにまた描くよ
何千回だって 何万回だって
出典: ハイパーリアリスト/作詞:大胡田なつき 作曲:成田ハネダ
「宛名」には、受取人の氏名の他に住所も含む場合があります。
歌詞の解釈とは直接関係ありませんが、イメージとして表に何も書いていない真っ白な封筒を想像しました。
その宛名のない手紙は、何千回と何万回と描かれていくのです。
不特定多数に向けて、皆様へ向けて、つまりパスピエの音楽を待ち続ける人のところへ届くのではないでしょうか。
そうです、あなたのところへもきっと届きますよ。
顔出し解禁となった最初の作品
そもそも顔を隠していたのは?
「永すぎた春/ハイパーリアリスト」を語る上で外せない話題があります。
それは、「パスピエ」がこのシングルの発売直前に顔出しを解禁したということです。
顔を隠していたことを知らない方もいるかと思いますが……。
そういう方はこの作品以前の「パスピエ」作品をご覧いただければと思います。
一目瞭然、顔が見えません(笑)
ちなみに、デビュー前は顔を隠していなかったそうです。
「大胡田」のイラストでメンバー写真の代わりをしていたら、「正体不明のバンド」というようなキャッチコピーがついた為に顔を隠すようになったとか。
顔を見せないということは表現方法を制限しているということ。
それでも音楽で聞き手の心を捉えることができるのですから、本当に実力があるのだと思います。
3枚のアルバムでひと段落
そして、何故このタイミングで顔を出すことに決めたのでしょうか。
一言でいうとアルバム「娑婆ラバ」でひと段落完結したからです。
それ以前にも顔を出そうかという案はあったそうなのですが、それで何ができるかが定まっていなかった為に未遂に終わりました。
しかし、一つ完結し、表現の幅を広げる為に、もっとファンを楽しませる為に、顔を出したほうがいいと決断したのです。
それにより表現できることが増えたのは確かなのでしょう。
バンドも大きく成長した時期といえるのではないでしょうか。
表現の幅は狭まっていたとしても、「正体不明のバンド」というキャッチは目を引きます。
そのもしかしたら居心地が良くなりつつあった「正体不明のバンド」という肩書き、つまり自分たちが作ってきたものをぶっ壊して次へ進む。
まるで表現者の鑑(かがみ)のような人達ですね。
PVはこちら
PVについて
顔出し解禁とした直後だからでしょうか。
メンバー後部に設置されたモニターをよくご覧ください。
なんと、ほとんど顔が見えません。
まるで「今までの作り方だとこうなります」というのを表現しているようです。
そして、モニターではない部分つまり画面に直接写っているところでは、メンバーの顔が強調されているようにも感じます。
カメラワークがおもしろい!
メンバーは固定で各自演奏に没頭するだけで、カメラさんが目まぐるしく動いています。
いや、ズームやら分割を多用しているからカメラ自体は動いてないのかも。
この演出がリズムのタイトさを強調しているようで印象的です。
シンプルな構成ながら、見応え十分なPVですね!