Mrs. GREEN APPLEの「アウフヘーベン」とは?
Mrs. GREEN APPLEの「アウフヘーベン」は2018年4月18日に発売された3作目のアルバム『ENSEMBLE』の収録曲です。
MVも公開された注目の一曲ですが、曲名も、あまり耳馴染みのない言葉で、どんな曲かよく知らないという方も多いでしょう。
今回はそんな「アウフヘーベン」の魅力に迫っていきたいと思います。
そもそも、「アウフヘーベン」とは?
止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。
揚棄(ようき)ともいう。ドイツ語「Aufheben」の訳語。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/止揚
あるものをそのものとしては否定するが,契機として保存し,より高い段階で生かすこと。
矛盾する諸要素を,対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。
という二つの意味を有する。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/止揚
「アウフヘーベン」についてウィキペディアにはこのように解説してありますが、よくわかりませんよね?
少し長くなりますが、筆者なりに説明してみます。
興味がない方は読み飛ばして、MVの見出しまで飛んでいただければと思います。
曲の意味に迫るため...「アウフヘーベン」という言葉を理解する!
要するにドイツ語の"aufheben"という言葉には規則などを廃止するという意味と保存する、高めるといったような意味があります。
2つの意味は相反するように感じるかもしれませんが、ヘーゲルはこの言葉を使って弁証法的発展を説いたのですね。
例えば、同じ問題の解決策として、Aだという人とBだという人がいるとします。
どちらも一理あると、結論に至るのは難しそうに感じますね。
例えば、この二人が話し合った結果、A寄りの答えになったとしても、AとBのいい部分同士を戦わせた結果Aになった。
すなわち、Bのここはいいが、Aのここはさらにいいという形で、結果的にBはAの良さを証明するという形で存在していますね。
また、古いものの悪い部分が露呈し、否定されて新しくなる場合の例。
この場合も、古いものがあって新しいものができたのだから、新しいものが生まれるきっかけになったということですよね。
また、いい部分があったからこれまでは古いものが正解として存在していたのであり、いい部分は新しいものにも残っていくということになりますね。
この例だと、温故知新という言葉とも意味が近くなると思います。
つまり、あることをそのものは否定しつつ、完全になくすのではなく、その良い部分は残しつつ高め、悪い部分はより良いものが生まれたきっかけとして残す。
そうしてより良い結論はより良いものになっていくということですね。
では、こうした意味を理解した上で、この曲に込められた意味を探っていきましょう!
「アウフヘーベン」のMVをチェック!
歌詞の意味が浮かび上がってくるような美しくも考えさせられるイラストを書いたのは大森さんが推薦した学生だそうです。
スタジオで聴きながら感じたことを絵にしていったそうで、YouTubeで公開された上の動画はショートバージョンでありながら見応えは十分。
イラストから感じることはそれぞれだと思うので、1カットだけ解説してみます。
「まだ生き足りないな」という歌詞に合わせて描かれたイラストは左が赤ちゃん、右が老人で、その間に手と目がある構図になっています。
そして、その後に続く歌詞は「もう死にたいな」。
つまり、死が近づく者がまだ生きたいと願うにもかかわらず、一方でまだ寿命を多く残す者は死んでしまいたいと思ったりする。
そうした人間の矛盾を描いた歌詞を羨望を表す手と目を赤ちゃんと老人の間に配置することで表現しているのでしょう。
無い物ねだりだといったりしますが、人間の欲は渦巻いて、幸せを見失いがちですね。
さて、この一節の歌詞と1カットのイラストだけでも歌詞の深さが窺えますが、次は歌詞を全て解釈し、その意味に迫りますよ。
「アウフヘーベン」の歌詞の意味を解釈!
ここからは大森元貴さんが高校2年生の時に作ったという「アウフヘーベン」の歌詞を徹底解釈していきます。
高校生とは思えない発想力、そして歌詞の構成力を存分に味わっていただければと思います。
また、「パブリック」のアンサーソングであるということも公開されている本作。
その理由にも解釈を進める中で迫っていければと思います。
意思がなくても、意思があっても同じこと?
フリコに踊らされた街
いつ滅んでもいいと想う
中身ヘリウムガス風船
飛んで飛んで弾けていった
「まだ生きたりないな」
「もう死にたいな」
「もう嫌だ逃げていたいな」
「あそこが羨ましいな」
ならもう
間を取ってみましょうか
そうはいかないな
出典: アウフヘーベン/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴
舞台は、時計の振り子が右に行けば右、左に行けば左と、権力やメディアによってみんな決まった方向を向いてしまう街です。
一人一人に意思などなく、声を発することもない大勢になってしまっている街とは、もしかしたら現代の日本のことかもしれませんね。
どうせ多数の意見に飲まれてしまうなら、意思があってもなくても同じではないかという諦念が表れている歌詞。
そして、世の中に疑問を呈し、声を上げて政治家になったとしても結局中身が空っぽならば上るところまで上ったところで粗が出て、風船のように弾けるだけじゃないか、結局世の中は腐ってしまっていると言っているのですね。
そして、こんな世の中でも、死にゆく人は生きたいと願い、一方で自殺する人は後を絶たないのも矛盾した現実で。
自分の人生から逃げてしまいたいと思う一方で、他人への羨望や人生への理想を捨てきれないでいる。
生きる意味は何なのか、何を希望に生きていけばいいのか。
そんな疑問が浮かぶような歌詞ですね。
続きの歌詞も見ていきましょう。