アジアの歌姫
台湾出身
テレサ・テンは1953年1月29日生まれ、台湾出身の歌手です。
若い人はあまり知らないかもしれませんが、1980年代から90年代にかけて日本でも大きな人気を獲得し、活躍していました。
紅白歌合戦にも3回出場しています。
この記事で取り上げる「つぐない」の他、「愛人」、「時の流れに身をまかせ」など、数多くのヒット曲を持っています。
アジア全域でスターに
10歳の時、ラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝。天才少女として注目を集め、14歳の時にプロ歌手としてデビューする。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/テレサ・テン
テレサ・テンのデビューは非常に早いものでした。
14歳でデビューし、16歳には女優として映画デビューします。台湾では若くして大スターでした。
シンガポールやタイ、マレーシアでもレコードが発売され、大人気となります。
日本でデビューする前に、すでにテレサ・テンはアジア全域で人気を誇る歌手だったのです。
当時はまだ日本と中国も国交正常化される前でしたし、今よりも複雑な政治情勢があった時代でした。
その中で、アジア全域で広い人気を持っていた彼女はまさに「アジアの歌姫」と呼ぶにふさわしい存在だったと思います。
「つぐない」
2度目のデビュー曲
テレサ・テンは1970年代に日本デビューしています。
1974年に「空港」という曲が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、順調な活動を行っていました。
しかし、彼女は予想外のトラブルに巻き込まれてしまいます。
1979年2月、本来の台湾のパスポートではなくインドネシアのパスポートで来日しようとしたため、旅券法違反で国外退去処分を受ける。当時、1972年の日中国交正常化の影響で日本は台湾とは国交を断絶していたため、台湾のパスポートでは入国の際に非常に煩雑な手続きが必要だった。そこで彼女はインドネシアのパスポートで「エリー・テン」という名前で入国していた。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/テレサ・テン
彼女だけでなく、台湾出身の芸能人は当時インドネシアなど他の国から発行されたパスポートで来日するのが当たり前だったそうです。
しかし、テレサ・テンはそのことで国外追放処分となってしまいました。
ある種、スケープゴートとして見せしめにされたという見方もあるようです。
テレサ・テンはその後中国を中心に活動し、さらにアジアでの人気を拡大していきます。
ファンの強い要望もあり再来日が許可され、1984年にリリースされたのがこの「つぐない」です。
テレサ・テンにとっては2度目の日本デビュー曲と言ってもいいものでした。
作詞・作曲はあの大御所
「つぐない」の作詞は荒木とよひさ氏です。
五木ひろし「そして…めぐり逢い」、わらべ「もしも明日が...」「めだかの兄妹」など、大ヒット曲を数多く手がけた昭和を代表する作詞家の一人です。
作曲は三木たかし氏です。こちらも昭和歌謡界を代表する大作曲家です。最も有名なのは、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」でしょう。
先に紹介したわらべ「もしも明日が...」「めだかの兄妹」も、三木たかしの作曲です。
荒木とよひさとはゴールデンコンビとして、多くのヒット曲を手がけています。
「つぐない」は有線放送で徐々に人気に火が付き、最終的には150万枚の大ヒットとなりました。
1984年の日本有線大賞を受賞するなど、テレサ・テンを代表するヒット曲になったのです。
歌詞について
切ない別れを描く
「つぐない」は切ない男女の別れを描いた歌詞です。
詳しく見ていきましょう。
窓に西陽が あたる部屋は
いつもあなたの 匂いがするわ
ひとり暮らせば 想い出すから
壁の傷も残したまま おいてゆくわ
出典: つぐない/作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし