「横断歩道を渡る人たち」の歌詞を見てみる

それでは、そんな「横断歩道を渡る人たち」の歌詞を見ていきましょう。

目の前を横切ろうとするその老人の背中はひどく曲がっていて
歩く姿をじっと見ていると足が不自由であることがわかる
かばい続けてきた足のせいか それとも
思うように動かぬ現実にへし曲げられた心が
背中まで歪めているのだろうか?

出典: https://twitter.com/children_bt/status/936252492139991040

まずは、導入部分です。

自分の目の前を通り過ぎていく老人に目を留めます。

その歩き方1つ取ってみても、色んな想像を張り巡らすことができることを教えてくれる歌詞になっています。

横断歩道を渡る人たち
僕は信号が変わるのを待っている
昨日の僕が 明日の僕が
今 目の前を通り過ぎていく

出典: https://twitter.com/MrChildrennouta/status/937441406288666624

赤信号に立ち止まりながら、物思いに耽る様子が目に浮かぶようです。

通り過ぎていく人たちに自分を重ね、自分も大衆の中の1人に過ぎない寂しさが感じ取れる歌詞になっています。

目の前を颯爽と歩くその女のスカートはひどく短くて
ついつい目が奪われてしまう 強い風でも吹かぬものかと
そんな視線に気が付いたら きっと彼女は僕を睨みつけてくるだろう
「自分の為にしてるだけ」だと
「誰かの気を引きたいわけじゃない」と

出典: https://twitter.com/hugin_44/status/922468987937603584

今度は、色気を振りまきながら通り過ぎる女性に目を奪われます。

自己表現と、客観との差を描くような歌詞になっていて、それを女性の気持ちと、見とれている自分の気持ちに例えて表現しています。

自分が感じているものや表現したいものと、周りから見た自分は違うんだよ、と教えてくれているかのようです。

横断歩道を渡る人たち
僕はハンドルを握り締めて見ている
昨日の僕が 明日の僕が
今 目の前を通り過ぎていく

出典: https://twitter.com/_MrChildrenbot_/status/777511718079520768

そして、ここで「ハンドル」という言葉が出てきたことで、実は車の中からの視点であったことが分かります。

イライラした母親はもの分かりの悪い息子の手を引っ張って
もう何個も持ってるでしょ!?と おもちゃ屋の前で声を上げている
欲しがっているのはおもちゃじゃなく愛情で
拒んでるのも「我慢」を教えるための愛情で
人目も気にせず泣いて怒って その親子は愛し合っているんだ

出典: https://twitter.com/Mrchildrenbot2/status/938629497145868288

そして、次は、駄々をこねる子どもと、その子どもを叱り付ける母親が描かれます。

一見、お互い譲らずに自分のことしか考えていないように見えて、実は深いところでは、それが愛情として繋がっていること、愛情の裏返しであることに気付かせてくれる歌詞になっています。

横断歩道を渡る人たち
僕はフロントガラス越しに見ている
昨日の僕が 明日の僕が
今 目の前を通り過ぎていく

出典: https://twitter.com/mischiruynk/status/519123624922324992

ここでも車の中からの視点であることを強調しています。

ギターケースを抱え歩くその少年は仲間と楽しげに話している
好きな音楽の話か それとも好きな女の子の話か?
そのギターで未来を変えるつもりかい?それならいつか仲間に入れてくれ
僕だって何もかもをもの分かりよく 年老いたくはないんだ

出典: https://twitter.com/MrChildrennouta/status/935357859788754944

最後は、ギターケースを抱え歩く少年が登場します。

その少年に昔の自分を重ね、年老いてしまったことを認めながらも、フレッシュな気持ちや初期衝動はいつまでも忘れずにいたいという願望が描かれています。

横断歩道を渡る人たち
僕は信号が変わるのを待っている
昨日の僕が 明日の僕が
今 目の前を通り過ぎていく
昨日の僕が 明日の僕が
今 目の前を通り過ぎていく

出典: https://twitter.com/MrChildrennouta/status/937441406288666624

そして、また1番の歌詞を繰り返します。

通り過ぎていく人から学んだことを反芻しながら、また新たなスタートを切ろうという気持ちの感じ取れる締めくくりになっています。

最後に