小さくて弱い心へ
ああ、恐ろしいことばっかだ 楽しむことさえもそう
もう、後になって思い出に ぶん殴られるのが嫌なんだ
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
楽しい想いでさえも、あとから思い出すとなんだか恥ずかしくなることってないでしょうか?
自分の楽しんでいる姿さえ、なんだか滑稽なような気がしてしまう、そんな心を言い当てるのです。そんな架空の滑稽さに傷付いて縮こまる心を、ぴたりと見つけるのです。
絶望や諦観がどれほどの痛みを生むのか 他の誰かにわからない
あなただけが正しさを持っている
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
自分の絶望やあきらめの心に、自分がどれだけ傷付くのかは、もちろん自分にしかわからない。
自分の正義は、自分だけが持っているものなのです。
言葉にすること
ちゃんと話してよ 大きな声で さあ目を開いて わっはっはは
自分嫌いのあなたのことを 愛する僕も嫌いなの?
いつだってそうだ 心臓の奥で 誰彼彼も見下しては
見下される恐ろしさに 苛まれて動けずに
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
自分の正義や気持ちは、自分にしかわからないからこそ、伝えてほしいと歌います。
あなたを好きだからこそ、伝える努力をやめないで。
見下される怖さに怯え続ける誰かの心に、優しく歌いかけるこの歌はまるでラブソングのようです。
もう、黙り込んだ方がお得だ 否定されるくらいなら
その内に気づくんだ 何も言えない自分に
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
「雄弁は銀、沈黙は金」などと言います。
しかし、そうやって黙り続けているうちに、語るべき言葉さえ失ってしまうかもしれないのです。
与えられるもの
愛情や友情はあなたがいくら疑えど 一方的に与えられて
あなたが決められるものじゃないや
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
正義はもちろん自分自身で決めるもの。しかし、周りから与えられる愛情は、与えるほうが決めるものです。
愛されていることさえ否定することは、たとえ自分自身でも、不可能なのです。
ちゃんと笑ってよ カウチにかけて お腹抱えて わっはっはは
そんな寂しいこと言わないでよ さも知ったげにも俯いてさ
真っ赤っかな嘘 撒き散らしては 嘘に嘘つき塗り重ね
どうにもならず追い込まれて 傷つく前に逃げ出して
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
愛を与えられても信じられない、寂しいあなたに、米津玄師は歌いかけます。
無知な自分が恥ずかしくて、塗り固めた自分の嘘に追い詰められる前に、素直な笑顔を見せてほしいと。
あなたが思うほどあなたは悪くない 誰かのせいってこともきっとある
痛みを呪うのをやめろとは言わないよ それはもうあなたの一部だろ
でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど 誰かがくれたもの数えたことある?
忘れてしまったなら 無理にでも思い出して じゃないと僕は悲しいや
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
自分が悪いと責め続ける、かわいそうなあなたの心。
すべてをしょい込むより、周りにいる誰かがくれた優しさや愛に目を向けて、無理に思い出してほしい。そうやって、少しでも愛される自分を許してあげてほしい。
そうじゃないと、あなたを好きな私は悲しくなるよ、そう歌う声の優しさに、救われたファンは多いのではないでしょうか?
どこにもないと泣く前にさ 目の前の僕をちゃんと見つめてよ
出典: http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l03123a.html
自分がかわいそうだと泣く前に、目の前であなたを愛してくれる誰かを見つめること。
なにかで落ち込んだり、悲しくなったとき、これは魔法の呪文になるかもしれません。
ちなみにタイトルの「wooden doll」とは、でくのぼう、という意味。
でくのぼうと言えば、使いものにならないとか、役立たずとかそんな意味ですが、この歌詞で意味するところは少し違うように読めます。
他人から与えられた愛情に気付かない、自分勝手なわからずや。
そんなひとを、米津玄師は愛を込めて「でくのぼう」と呼ぶのではないでしょうか?
だからこそMVの中で、木で作られた人形(木偶の房)を燃やしたのではないでしょうか?
心が固まってしまったとき、でくのぼうになりそうなとき、こんな音楽が心をほぐしてくれそうです。