「どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだ」とする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与することを提唱する仮説。言語相対性仮説とも呼ばれる。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/サピア=ウォーフの仮説
文章をそのまま読むと少し難しいですね。
簡単にいうと言葉が考え方に影響を与えているということです
「グランドエスケープ」の歌詞に当てはめて、さらにわかりやすく説明します。
すると、名前は個性に関係するとなるでしょう。
“通り雨”や“木漏れ日”は、その名前に個性を制限されています。
人の名前も同じです。
「グランドエスケープ」は名前による存在の制限は必要ないと歌っているのです。
さあ、サビの歌詞をみていきましょう!
「グランドエスケープ」の壮大なサビの歌詞
重力が眠りにつく 1000年に一度の今日
太陽の死角に立ち 僕らこの星を出よう
彼が眼を覚ました時 連れ戻せない場所へ
「せーの」で大地を蹴って ここではない星へ
行こう
出典: グランドエスケープ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
歌詞の物語はさらに壮大になってきました。
重力がなければ、ジャンプすればそのまま宇宙の果てまでいくことができます。
“太陽の死角”という言葉がとてもかっこいいです。
誰にも見つからないようにどこかへ行きたいということでしょう。
なぜ誰にも見つかりたくないのでしょうか?
他の人たちが信用できないという少し後ろ向きな感じもします。
そして、最大の謎が出現しました。
“彼”とは誰のことを指しているのでしょう?
歌詞から考えると、“彼”は“重力”のことかもしれません。
でも重力自体が比喩だと考えることもできます。
重力はAメロで考察した「名前」など、存在を縛りつけるものという意味で使われているのでしょう。
サビの歌詞から、「グランドエスケープ」は「地球からの脱出」であるとわかりました。
さらに深読みするならば「自分という存在を決めつけるものからの脱出」という見方ができるでしょう。
2番で物語はどう展開する?
2番Aメロ
夏風邪に焦る心が 夏をさらに早送るよ
めまぐるしい景色の中 君だけが止まって見えた
君と出会ったあの日から パタリと夜、夢は止んだよ
土の中で待ちこがれた 叶えるその時は今だ
出典: グランドエスケープ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
2番Aメロではサビの壮大な風景から、ワンシーンを切り取ったような詩的な歌詞に変化。
まず、このシーンは誰について歌われたものでしょうか?
“土の中〜”というフレーズから察するに、もしかするとセミのことかもしれません。
土で長い間待って、夏に出てくるものといえば、おそらくセミでしょう。
セミは夏風邪を引いてなかなか外に出られないのでしょうか。
早く“君”に逢いたくて焦っているのかもしれません。
セミを主人公にしたファンタジーのような1幕を思い浮かべることができます。
2番のサビ
重力が眠りにつく 1000年に一度の今日
花火の音に乗せ 僕らこの星を出よう
彼が眼を覚ました時 連れ戻せない場所へ
「せーの」で大地を蹴って ここではない星へ
行こう
出典: グランドエスケープ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
2番のサビは1番のものと大体一緒ですね。
“花火の音”という部分だけ違います。
旅立つときに音も聞こえないようにしたいのでしょう。
「グランドエスケープ」の歌詞は、世界の中で君と僕の2人しか重要ではないと歌っているようです。
そして2人しか存在しない世界への旅立ちをほのめかしています。
歌詞を見ながら曲を聴いていると、幻想的な光景に没頭してしまうようです。
2人はどこへ行くの?
もう少しで運命の向こう もう少しで文明の向こう
もう少しで運命の向こう もう少しで
出典: グランドエスケープ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
このパートは洋次郎がボーカルを務めます。
“運命の向こう”という言葉は何を表しているのでしょうか。
もしかすると2人は出会うべき運命ではなかったのかもしれません。
それでも出会ってしまった。それでもお互いを想い合っている。
運命を乗り越えて一緒にいようということだと思います。
“文明の向こう”という歌詞も興味深いですね。
2人で一緒に居れば、そこに文明すら必要ないということでしょう。
「TVもネットもスマホも必要ない。」
「あなたがいればいい。」
強い意志が感じられます。