宮沢賢治の『風の又三郎』へのオマージュ、ヨルシカの『又三郎』

作詞作曲を担当するn-buna(ナブナ)と女性ボーカルのsuis(スイ)の音楽ユニット、ヨルシカ

2021年6月17日に出されたのが『又三郎』です。

この曲は、明治~昭和初期に活動した童話作家・宮沢賢治の『風の又三郎』がモチーフです。

今から100年も前の童話をオマージュに作曲するn-bunaの着眼点にまずは驚かされます。

どんな童話が、ヨルシカの手によってどのように現代に再現されたのでしょうか。

『風の又三郎』の童話はどんなストーリーか

ヨルシカ【又三郎】歌詞の意味を解説!風と言葉が象徴するものは?捨てたいものと本当に欲しいものを深読みの画像

宮沢賢治の『風の又三郎』の舞台は田舎の小学校です。

2学期が始まった9月に、へんてこな服装で北海道からやってきた三郎という転校生

同級生の少年たちはこの三郎に興味深々で、そのうち仲間となって野山を駆け回って遊び始めます。

田舎の自然の情景が写実的に描き出される中、子供たちの楽しそうなシーンが描かれるのですが…。

突然学校に来なくなった三郎。先生に理由を聞くと、親とまた別の土地へ転校したというのです。

「日曜日だからみんなに挨拶する暇がなかった」と子供たちに告げる先生。

そのあっという間に来て、あっという間に去っていく、風のようなスピード感。

子どもたちが「あいつは風の又三郎だったな」と三郎を思い出すシーンで終わります。

ヨルシカの『又三郎』に描かれている疾走感とは

それではヨルシカの『又三郎』の歌詞を考えてみます。

この歌の全編に渡って大切にされているのは、宮沢賢治の童話にもあった疾走感です。

瞬く間に現れて、瞬く間に去っていく突風のような存在。

そしてその突風は、世の中にある何かいやなものをどこかに飛ばしてくれるのでしょう。

童話ではそれが転校生でしたが、歌詞の中では、だれか頼りになる存在の人がいるようです。

とらえどころがないけれど頼りたくなる存在とは

水溜りに足を突っ込んで
貴方は大きなあくびをする
酷い嵐を呼んで欲しいんだ
この空も吹き飛ばすほどの

出典: 又三郎/作詞:n-buna 作曲:n-buna

水たまりに足を突っ込んでしまっても何も気にしないような大雑把な性格の男性が描かれます。

大きなあくびをするなんて、なんだか神経質とは真逆にいるような、無造作な雰囲気が感じ取れます。

どこか頼りになるんだかならないんだか、とらえどころのないような人にも思えるのですが…。

それでも彼はきっと、無頓着な反面、やるときゃやるような大胆な性格も持ち合わせているのでしょう。

なぜか彼に期待をしてしまうのです。

大きなを呼んでほしい。この世の中の、なんだかわからない閉塞感もすべて吹き飛ばしてほしいと。

風を待ち望んでいた真意とは

風を待っていたんだ
何もない生活は
きっと退屈過ぎるから
風を待っていたんだ
風を待っていたんだ

出典: 又三郎/作詞:n-buna 作曲:n-buna

「風を待っていた」…その風とは、もちろんその人、風の又三郎のことでしょう。

周りにいる誰もが「ふつう」で画一的。誰もこの時代に変化を起こす力がないのです。

でもその彼は、なぜか何かをひっくり返してくれそうな可能性を感じられるのですね。

何もない生活は退屈すぎるのですが、彼ならそのつまらない日常に一石を投じてくれる。

誰もがそんな、社会を変えてくれる誰かを待ち望んでいるのです。

「風を待っていた」と繰り返す部分に、本当に切望していた感じが現れています。

吹き飛ばしてほしいと主人公が望むもの

サビでは、主人公が風で吹き飛ばしてほしいという思いが語られます。

そして宮沢賢治の童話の一節を取って、耳元を通り抜ける強い風の音が表現されるのです。

もやもやしたものをすべて吹き飛ばしてほしい