死に損なった朝が眩しい
出掛けさせられてる毎日に
千切れた涙を弾丸としてこめろ
それを言葉という
出典: それを言葉という/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
時に言葉は、他人をいとも簡単に傷つけます。
だけど言葉は、自分を守るものともなるのです。
心が引きちぎられるぐらいに苦しい時に脳裏に浮かんだいくつもの様々な感情の言葉。
そんな言葉たちはきっと人を傷つけるものではなく、これからの自分を守ってくれるものとなるのです。
苦しい時に生まれた言葉こそ、伝えろ!
そう強く語りかけているのでしょうか。
忘れ去られてゆく希望
大人になると、現実を知り、子供のころに抱いていた夢や希望など忘れてしまうものです。
それがどんなものだったのかさえもめまぐるしく過ぎてゆく日々に埋もれて忘れ去られてしまうもの。
そんな日々の中でいつしか希望は、「達成すべき目的」という現実的なものへと変わっていくのでしょう。
歪んだ承認欲求
少年少女がうろつく雑踏に
転がる望みなどもはや誰も拾わない
期待出来ない時代に
期待されなかった僕らは
「あいつはもう終わりだ」
と言われながら
屈折した尊厳は
まるで青く尖るナイフだ
出典: それを言葉という/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
誰からも期待されず、見つけられもせず、もうそこには存在すらしていないような扱いを受け続ける。
生きている者にとって最も苦痛で耐えがたいこと。
それは嫌われることよりも存在自体を忘れ去られることなのではないでしょうか。
全ての者から忘れ去られることによって生まれる、歪んだ承認欲求。
それは時に他者を傷つけ、そして自分さえも傷つけるものとなるのです。
消費されていく満足感と流れ込んでくる虚無感
何が幸せで、何が不幸せなのか。
自分の中で幸せを感じているだけでは満たされない満足感があります。
それを埋めるために他者にその幸せを称賛、承認してもらい、やっと心が満たされて完結するのです。
満足感というものは得るもので、虚無感というものは自分の意志とは関係なく生まれてくるものなのです。
手を伸ばさなければ、得ることのできない満足感は何もしなければやがてゼロになります。
ゼロになって乾ききった心を満たす手段は一体何なのでしょうか。
幸せ比べと不幸自慢
幸福を競い合うのに飽きて
不幸比べになったらもう末期だ
僕が歌を歌って得る安心と
あの娘が自傷行為して得る安心の
そもそもの違いがわからない
どっちにしろ理解しがたい人の集まりの中で
自分さえ理解できない人間の
成れの果てだ
出典: それを言葉という/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
他者より自分の方が幸せなことに幸せを感じる。
それはつまり本当は自分自身が全く幸せではないからなのではないでしょうか。
そもそも幸せを他者と比べるということ自体今自分が幸せではないということなのです。
称賛される、羨ましいと思われる、最初は気持ちの良いものなのでしょう。
しかしそれはやがては日常となり、当然のこととなっていくのです。
そのうち称賛も、羨望の眼差しも欲しくなくなる。
そして今度は同情、哀れみが欲しくなるのでしょう。
「みんなよりも幸せな自分を見て!」から「みんなよりも可哀そうな自分を見て!構って!」となっていくのです。
どちらも歪んだ承認欲求です。
他者と比べて、自分が他者より上ということを確認することで心の安定を得るのでしょう。
満足感がゼロになった時に満たされなくなった幸福感と満足感。
それを不幸比べや不幸自慢によって得た満足感で補填するようなことをし始めるのでしょう。
それは、自分にとっての幸せが何かさえ既に分からなくなってしまっているのではないでしょうか。
何が幸せで、何が不幸せなのかということは、全てが他者と一致するということはなないのです。
そして、他者の幸福や不幸を全て理解するということも、不可能なのです。
それでも、生きることをやめたくない
やり遂げることで得る満足感も
小銭と同じであっという間に消費した
ファストフード店で
頭を抱えながら繰り返す
終わってたまるか 終わってたまるか
出典: それを言葉という/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
満足感や達成感は、自分で動かなければ得ることができないものです。
そして、満足感や達成感は苦しいときの力になったりもすることも。
諦めそうなとき、動けないとき。
「あのときあれだけやれたんだ」と気持ちを奮い立たせる原動力にもなるでしょう。
しかし日々使い続けていたらいつかはなくなります。
いわば携帯の充電と同じようなものなのです。
充電しなければ、動かなくなる。
伝えたいことも伝えることができなくなるのです。
5行目の歌詞は心が枯渇した状況でも出口を必死で見出そうとしている主人公の感情が伝わってくるようです。
言葉にならなくても
言葉にならない叫びでも、声にならない嗚咽でもいいのです。
苦しんで苦しんでやっと出た声だからこそ伝えられることがきっとあるのです。