苦悩の果ての果て 惨めなうめき声
ここでこそ歌え
抜け殻になった命こそ鳴らせ
「心にも無い事言って」
って心に無いなら言えねぇよ
僕は伝える事さげすんだりしない
それを届けて
死に損なった朝が眩しい
出掛けさせられてる毎日に
千切れた涙を銃弾としてこめろ
それを言葉という
出典: それを言葉という/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
注目すべきは4行目と5行目の歌詞です。
どんな言葉も、きっとほんの少しでも心で思っていることでなければ発することはできない。
心の中で思っていなければ伝わらないし伝えようともしないんだ。
ということを語りかけているのではないでしょうか。
空っぽになった自分だから、自分の心の中にあるもの以外は伝えられない。
ゼロになって空っぽになって、中身もなくなった自分が伝えるからこそ伝わるものがあるのでしょう。
伝える事は尊いことで、見下されるものでは決してないのです。
止まってもいい。終わりではないのだから
どれだけ苦しい今日でも、どれだけ不幸せな今日でも、明日はやってくるのです。
この曲での「朝日」が表すものとは、希望の光などというものではないのではないでしょうか。
拍子抜けするものであったり滑稽なもの。
「あれだけ昨日は辛かったのに、朝日は眩しいんだな。」
そんな感情と苦笑いを浮かべている光景が見えてきそうです。
自分はもうどうにもならないくらいにぺしゃんこなのに眩しい朝日を感じる事ができている。
そのことに気づいた主人公は自分自身で選択をするのです。
取るに足らない世界に生きるということ
明日がある以上終わりじゃない
朝日が愚鈍に差し込む車内
押しつぶされた心はくしゃくしゃで
ホームに吐き出された
もう一歩も歩けない
微動だにできない儚い抗いを弔い
理論武装解除を 丸裸の行動原理を
下らない人間くらいが丁度いい
下らない人間くらいが丁度いい
下らない人間くらいが丁度いい
下らない人間くらいが丁度いい
どうせ下らない世界だ
出典: それを言葉という/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
他者から批判をされないために、自分の感情を心にしまい込んで伝えるということを放棄するのはやめよう。
そして、生きたいように、やりたいようにやろう。
主人公は自ら選択したのではないでしょうか。
自分はつまらない、取るに足らない世の中で生きている人間なのです。
同じようにそんな世の中で生きている他者です。
そんな彼らに批判されようが、見下されようがそれもまた、取るに足らないことなのです。
ボロボロになってもたどり着いた場所
周りから期待されなくても、もうアイツはダメだと言われ続けても、もがき苦しみたどり着いた場所。
心も自分自身も空っぽになり全てがなくなっても、確かにあの時自分はそこに存在し、生きていたのです。
それは自分の力でたどり着いた場所
終わったと言われた毎日を
あの時確かに泳ぎ切った
僕らの両手は
涙を拭う為の物ではないさ
死に損なった朝が眩しい
出掛けさせられてる毎日に
千切れた涙を銃弾としてこめろ
それを言葉いう
出典: それを言葉という/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
もがいたのは自分のこの手。苦しんだのは自分自身の心なのです。
今立っている場所は、自分の力でたどり着いた場所。
この手は悲しみを拭うものではなく、前へと生きていくためのものなのだと言っているのではないでしょうか。
どんな漕ぎ方でもいい、どんな泳ぎ方でもいいのです。
絶望の中にいようとも、きっと人間は生きようとするはずなのです。
悲しみや苦しさ、悔しさ、もどかしさ。
伝えたい感情は拭うものではなく、自分自身を守るために言葉にして伝えるものなのです。
言葉というものの強さを思い知る楽曲
圧倒的な言葉の重みと強さをまざまざと思い知らされる楽曲です。
力強い秋田ひろむの歌声がさらに曲を奥深く、歌詞の言葉の全てに色と、重さと、厚みをもたせているのでしょう。
そして、彼の「伝える」ということへの探求心、執着心。
それによって生み出される歌詞の言葉たちが、多くの人の心を揺さぶり続ける理由なのではないでしょうか。
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