前向きな言葉がシャワーのように降り注ぐ歌詞

では、歌詞の解釈にうつります。

たくさんの言葉がキラキラと輝く歌詞の中には、限りない想いが込められていますよ。

未来への地図に描かれた明日

いきものがかり【笑ってたいんだ】歌詞の意味を徹底解説!沢山の想いが込められた真っ直ぐな歌詞が胸を打つの画像

ヒーローなんていらないよ ぼくはきみの言葉が欲しい
ありふれた道に咲かせよう ただ優しく強い 花
ぼくらが”ぼくら”に託す あこがれで埋めた地図に
やぶれるほど書き足すよ ”こたえ”のない明日を

出典: 笑ってたいんだ/作詞:水野良樹 作曲:水野良樹

誰もが憧れるヒーローではなく、ぼくはきみの言葉に救われるんだ。

そんなきみと生きる「ありふれた道」=「人生」に、優しく強い花を咲かせたい。

歌詞で綴られている言葉はとても抒情的ですが、実に堅実な願いです。

でもそういうことほど難しいのですよね……。

未来の”ぼくら”のために、結果の分からない明日を書き足した地図。

強い筆圧と細かい文字でたくさんの”明日”を願い、土に託します。

実際、この地図が掘り起こされるかどうかは分かりません。

それでもぼくらはその日を信じるのです。

枠を超えた感情を受け止めて、人は強くなる

誰かのために笑ったり 誰かのために涙して
はみだしていく感情が きみを強くさせるよ
かたちあるもののなかに すべてがあるわけじゃない
この夏空にいどむよ 無鉄砲でも飛び込むよ

きみに今 伝えたいことがあるんだ ほら
この手で 未来を つなごう

出典: 笑ってたいんだ/作詞:水野良樹 作曲:水野良樹

誰かの言葉や行為に一喜一憂するのは、生きていれば当然のようにあることです。

しかしそれが自分の心の枠を超えた大きさだったりすると、すごく疲れたりしませんか?

悲しみや怒りの感情ならば尚更です。

常にクールでいられたら、どんなに楽なことか。

しかし、心の枠を超えた感情を受け止め肯定することで、人は強くなれるのかもしれません。

時には無鉄砲と呼ばれる勢いで何かに挑むことも大事なのだと語っている部分です。

「きみと手を繋ぐことが、未来を繋ぐことのはじまりなんだ」とも。

深く強く願う「きみと笑って過ごす未来」

笑ってたいんだ ぼくはずっと 見つめてたいんだ きみとずっと
一歩 踏み出すよ 一歩
進むんだ 変わるんだ そう ぼくら どこにだっていけるよ 希望が咲く場所へ
あきらめないんだ ぼくはずっと だきしめたいんだ きみをずっと
一歩 届くんだ 一歩
動くんだ 願うんだ そう ぼくら あたらしいひかりをかかえて歩き出すよ

出典: 笑ってたいんだ/作詞:水野良樹 作曲:水野良樹

今現在の「ぼくときみ」は、もしかすると「笑えない」状態なのかもしれません。

それは二人の関係性というよりも、もっと大きな困難のような気がします。

いったいどんな困難なのか、それは分かりません。

今は咲いていない希望が満ちる場所へ、まず一歩を踏み出そう。

そしてきみと笑って過ごす未来へと歩んでいきたい、そう願っているようです。

流れ続ける時間の中に見出す「たしかなもの」とは

とまらない時間のなかで たしかなものをさがしてる
この一瞬を永遠にするのはぼくのこころさ
扉をひらくその手に 絶えることなき勇気を
”はじまり”またくりかえす 出逢いの風向き合うよ

きみと今 叶えたいことがあるんだ ほら
この手で 未来を つくろう

出典: 笑ってたいんだ/作詞:水野良樹 作曲:水野良樹

誰も時間を止めることはできません。

しかしきっと誰もが、「たしかなもの」を求めているように思います。

それは多くの場合「愛」や「幸福」と呼ばれるものではないでしょうか。

すべての出来事は、その一瞬を過ぎれば過去のもの。

そんな中でも、強く心に刻まれた「たしかなもの」は、永遠の煌めきを放ちます。

きみと今叶えたいのは、未来を「たしかなもの」で積み重ねていくこと。

時には、未来へと続く扉を開く手が怯えて止まることもあるかもしれません。

でもきっと、きみと手を繋いだ時の温もりが勇気となり力に変わるはず。

開いた扉の向こうからは、今まで嗅いだことのない匂いの風が吹きつけてくることでしょう。

信じること、守ること、誓うこと

笑ってたいんだ ぼくはずっと しんじてたいんだ きみをずっと
一歩 つづけるよ 一歩
守るんだ 誓うんだ そう ぼくら 誇らしい自由をみつけて歩き出すよ

”しあわせ”の意味を 生まれいく日々に なんども 紡ぎだすよ
きみがいるんだ ぼくがいるんだ

「はじめよう」

出典: 笑ってたいんだ/作詞:水野良樹 作曲:水野良樹

信じること、守ること、誓うこと。それらはきみに対しての宣言ではないと思います。

ぼくが心の中で自分に言い聞かせているのではないでしょうか。

それらをしっかり心に刻みつけられた時にこそ「誇らしい自由」を見つけられるのだと。

「たしかなもの」=「しあわせ」は、何も特別な出来事だけが生み出すものではありません。

夏の陽射しに焼かれ、滴る汗を拭いながら一緒に飲む、キンキンに冷えたコーラの味。

こたつでみかんの皮を剥きながら二人でテレビを見ている時、ふと触れたつま先の感触。

「生まれいく日々」の中で起こるささやかな出来事から紡がれる、たくさんのしあわせ。

きみとぼくがいる、すべてはそこからはじまるのです