今さらながら、いきものがかりとは
メジャーデビューしてもう10年にもなったのだと感慨深い気持ちにもなりますが、私たちはいきものがかりをどれだけ知っているでしょうか。今さらながら、彼らの足跡をたどってみましょう。
メンバー3人のプロフィールをざっと追ってみました。
水野良樹 (みずの よしき)
エレクトリック・ギター・アコースティック・ギター・コーラス 担当。
1982年12月17日生まれ。
神奈川県海老名市出身。
吉岡聖恵 (よしおか きよえ)
ボーカル、タンバリン担当
1984年2月29日生まれ。
神奈川県厚木市出身。
山下穂尊 (やました ほたか)
アコースティック・ギター、ハーモニカ、コーラス担当
1982年8月27日生まれ。
神奈川県海老名市出身。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E3%81%8B%E3%82%8A#.E3.83.A1.E3.83.B3.E3.83.90.E3.83.BC
男性2人組から男女3人組になった経緯
いきものがかりがトリオになったのには戦略があったのをご存じでしょうか。当初は水野と山下の男性デュオで路上ライブを開始。
彼らがバンドを組んだ年は、横浜出身のゆずが本格的にブレークしたとあって、雨後の竹の子のように男性デュオが続々と路上ライブを開始するという状況だったとか。
これでは目立てない・・・・・・と感じた水野は、バンドのセルフプロデュースについて考えます。いかにして、あふれかえる男性デュオバンドから抜きん出るか。
その結果、
- 男女混声のバンドが少ない
- ファン層が女子高生にとどまらない
- 男子高生やその父親・母親世代にもファン層が拡大できる
という理由から、女性をボーカルとしてバンドに招致することを山下に提案します。それで吉岡を引っ張って来たというわけ。
どうして吉岡聖恵がメンバーになったの?
水野はなかなかのやり手。ちょうどその頃、いきものがかりとは別個に椎名林檎のコピーバンドを組むため、女性ボーカリストを物色中、コピーバンド仲間の妹を紹介されます。それが吉岡聖恵です。
当時彼女はまだ15歳(そういう水野と山下も16歳くらいですが)。
15歳で椎名林檎のコピーバンドのメーンボーカルに、あのカワウソっぽい童顔の彼女ではどうも・・・・・・、と思ったかどうかは別として、いきものがかりのボーカルとして入れてしまうのです。
もちろん、一方的に水野の思惑が通ったわけではありません。 吉岡自身は路上ライブに興味があったので、自身の兄と水野の打診にはそもそも興味があったようです。
相模大野駅で路上ライブ行っている水野と山下を下見に来た吉岡が飛び入り参加。
事実上現在のメンバーで路上ライブを敢行、好感触を得たので、2003年8月25日に正式にインディーズ・デビュー!現メンバーでいきものがかりは始動します。
これがいきものがかり、始まりの物語です。ここでトリビアをおひとつ。
路上ライブに参加した吉岡ですが、その時は実兄の勧めもあって純粋に2人の様子を見学に来たのだったとか。この時の様子を山下が語るところによると、吉岡は赤いサングラスをかけてやってきたというのです。
案外、吉岡としては椎名林檎のコピーバンド・ボーカルを意識したいでたちだったのかもね。
駅の列車発車・接近メロディ(総じて駅メロ)と選択の理由
音鉄(鉄道の音に関して造詣(ぞうけい)の深い鉄道フリーク)、特に駅に流れる駅メロに執着するオタクには、いきものがかりはわりとポピュラーなバンド。なにせ3曲もエントリーしているのですから。
駅メロには使用される理由がそれぞれちゃんとあります。こちらも一応押さえておきましょう。
SAKURA 海老名駅(小田急小田原線)2010年11月3日~現在
言わずと知れた、いきものがかり発祥の地としての矜持(きょうじ)からこの曲を選択。
『SAKURA』は2006年のメジャーデビューしたときの楽曲です。正確には水野と山下の出身地で、2人で路上ライブを開始したのがこの駅だったのですけどね。