森且行脱退後、5人体制で初のシングル
それまでの最高の売り上げを記録
「青いイナズマ」はSMAP22枚目のシングルとして1996年7月15日にリリースされました。
リリースより少し前、同年5月に森且行がオートレースレーサーになるために脱退し、このシングルは5人体制になって初めてのものになります。
「Hey Hey おおきに毎度あり」で初のオリコンチャート1位を記録してから、「がんばりましょう」「KANSHAして」などで連続1位を続けてきたSMAP。
1996年にリリースした「胸さわぎを頼むよ」「はだかの王様~シブトクつよく」は、最高位2位でしたが、この「青いイナズマ」で再び1位を獲得、そしてこのシングルは、それまでのSMAPで最高の売り上げを記録しました。
歴代売り上げでも5位。
同じ年1996年11月に発売した次のシングル「SHAKE」も大ヒットし、こちらが歴代4位の売り上げですから、1996年は、SMAPがボーカルグループとして大きく羽ばたいた年と言えると思います。
実は林田健司のカバー曲
シンガーソングライターとして活躍
この「青いイナズマ」は、実は林田健司が1994年に発表した同名曲のカバーです。
林田健司は、シンガーソングライターで、この「青いイナズマ」を含め、10枚以上のシングルを発表、またアルバムも多数リリースしています。
ルーツはロックと本人は語っていますが、ハウス系のダンサブルなナンバーやポップなナンバーが得意。
端麗なルックスと中性的な美声を持つ歌唱力抜群のシンガーで、他のアーティストに提供した楽曲で知名度を上げましたが、熱烈なファンも多くもつ実力派のアーティストです。
EXILEのATSUSHIも尊敬するアーティストとして名前を挙げる米倉利紀のバック・コーラスとして参加した際に、同じくコーラスとして参加した高尾のぞみ(=candy)と知り合い、その後結婚。
しかし1998年に夫人が急逝、しばらく活動を休止していました。
余談ですが、亡き妻の高尾のぞみは山下達郎のバック・コーラスにも参加していて、その死に山下達郎は「ライブを本気で辞めようかと思った」と言うほど、落胆したと言われています。
林田健司は、「青いイナズマ」は、SMAPには合わないと思っていた!?
グループで歌うようなタイプの曲ではなく...
林田健司は、「青いイナズマ」以前に、SMAPに「$10」「君色思い」「KANSHAして」などを提供しています。
この中で、彼がSMAPに最も合うと思っているのは、「$10」と「KANSHAして」だとインタビューで語っています。
一方、この「青いイナズマ」は、SMAPがカバーするという時、内心「みんな(=グループ)で歌うには合わないのではないか」と思っていたそうです。
元々、この曲は、彼自身が1994年にシングルとしてリリースしています。
SMAPの為に書き下ろした曲ではないため、グループとして歌い分ける、あるいは合わせて歌う仕様にはなっていないと思ったというわけです。
しかし、彼の思いとは裏腹に「青いイナズマ」は大ヒット。
歌の世界に限らず、意図していないところにヒットが生まれるという現象は多々あること。
聴いて頂ければわかる通り、この「青いイナズマ」、サビ前のパートは入れ替わりが実にスムーズに出来ていて、実はグループで歌いやすい構造になっています。
また、この曲がなによりダンサブルなナンバーであるということも非常に大きいですね。
ボーカル&ダンスグループとしてさらに上を目指そうというSMAPには最もハマる曲になったわけです。
元曲はkeyが高い!?
今、聴いても新しい
では、元曲、林田健司バージョンの「青いイナズマ」を聴いてみてください。
これはSMAPのものより、keyが高くなっています。
彼の美声がとてもよく響きます。