生きられぬ弱さは僕に頼ればいい
いつまでも耳元で歌うよ
まるで「呪い」でいい
君の僕(しもべ)でいい
降り注ぐその痛み 身代われ
出典: 101回目の呪い/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔
ここで、タイトルにある”呪い”というワードが登場します。
この気持ちが呪いととられてもかまわないから、”君”を支えたい、という”僕”の強い想いが伝わってきます。
とにかく”僕”は”君”に生きていてほしくていつまでも伝え続けるのです。
しもべでもいい、身代わりでもいいという歌詞から、”僕”は”君”を何より強く思っていることが伝わります。
そう、ここに出てくる”呪い”とは”僕の君を想う気持ち”なのです。
僕は君に疑われている?
百回僕を疑ったら
百一回目は信じてくれる?
所詮他人とはじかれたら
何と返せば良い…
出典: 101回目の呪い/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔
1番の歌詞からつなげて連想すると、おそらく手紙の差出人は”僕”ではなく、他の誰かから”君”への嫌がらせの手紙のようです。
しかし、”君”は”僕”を疑っています。
それでも”僕”は”君”を想っている様子が伝わりますが、疑いが晴れても所詮は他人といって突き放されてしまう不安を抱えています。
そしてもし突き放されてしまった後、途方に暮れるであろう僕の気持ちを歌っています。
それでも君を救いたい
生きられぬと嘆く君を救えなくて
差し伸べる手は何も掴めず
死のうとした過去を棚に上げ
この世の生きる価値をどう伝えればいい
出典: 101回目の呪い/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔
辛すぎて死を望む”君”を救いたい”僕”ですが、想いがなかなか伝わりません。
そして”僕”自身も、辛い絶望を経験して死のうとした過去があるようです。
何とか今生きているものの、世の中に絶望して死を望んだことのある”僕”。
”君”に生きる事のすばらしさをどう伝えればいいのかわからず、苦悩しています。
何故なんだろう
君が手掛かりみたいで
たまに見せた汚い心を
僕は美しく思う
出典: 101回目の呪い/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔
”僕”の想いが”君”にうまく伝えられず、苦悩していることはわかりました。
”君”が手掛かりというのは何の手掛かりなのでしょうか?
この意味をひも解くために、前の歌詞からのつながりとたまに”君”が見せる汚い部分が、”僕”には美しく見えているという部分に注目します。
嫉妬や恐怖など、誰しもが抱えている心の闇の部分だったり、気持ちの裏側を”僕”は”君”から感じ取ります。
それがただ醜いと受け取るのではなく、美しいと感じるのです。
汚い心を美しいと感じるのは、たまにしか見せない部分だからなのか?
”僕”が特殊なのか?
様々な推測がありますが、おそらく”君”のことを想いすぎて、”君”が普段は見せない汚い心をより一層美しく感じてしまうのではないでしょうか。
そして、そう読みといていくことで先ほど出た手掛かりの意味は、”僕”が生きていく理由だと読み取れます。
”君”がたまにしか見せない汚い心を”僕”が美しいと思えることで、人間には汚い部分があっても、生きていける。
そしてその汚い部分を美しいとすら感じることができる。
そういう事実があるとわかったことで、”僕”は生きていくヒントを”君”から与えられているのです。
生きろ!
生きろよと何度でも言ってやる
この呪い 君を救え
出典: 101回目の呪い/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔
呪いとは、つまり”僕”が”君”に伝えたいことを表しています。
なんとしても”僕”は”君”を救いたいがゆえに呪いととらえられてもかまわないから、”君”を救いたいという強い意志が感じ取れます。
先ほどの間奏部分でわかったように、”僕”は生きるヒントをくれた”君”に感謝をしているようにも感じ取れます。
ポジティブな”呪い”?
「101回目の呪い」という曲名は一見何かの呪文か恨みかのように感じさせます。
でも実は純粋に一人の人を想う、不器用な気持ちに受け取れました。
そして、想いや願いなどありふれた言葉ではなく、敢えて呪いというワードを使っていることで、より強力な意志があるように感じます。
いずれにせよ、この楽曲で出てくるのは、相手を大切に想うその気持ちそのもの。
とてもポジティブなエネルギーの”呪い”だったのです。
「101回目の呪い」PVはこちらでチェック
公式PVがあいにく見つからなかったので、TV番組での披露映像があったのでご紹介します。
またビジュアルも加わると感じ方も変わってきますね。