永遠のアイドル「松田聖子」

【裸足の季節】松田聖子のデビューの軌跡を辿る!なぜか本人と一致しない歌詞を徹底考察の画像

「永遠のアイドルと聞いて思い浮かぶのは誰の顔ですか?

いつの時代も、アイドルの武器といえば若さと可愛らしさ。

しかし永遠のアイドルは成熟した美しさを得てもなお「アイドル」として人々を虜にします。

その先頭を走り続けるのが松田聖子ではないでしょうか。

好感度は真っ二つ

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アイドル・松田聖子のキャッチフレーズは「抱きしめたい ミスソニー」

1980年にデビューを果たして以来、アイドル離れした圧倒的な歌唱力人気を集め続けました。

その中で、生粋のぶりっ子性やウソ泣き、媚を売る姿が目に付き、反感を買ったのも事実です。

1985年には俳優・神田正輝と結婚し、翌年には長女・神田沙也加(SAYAKA)が誕生。

母となってからもファンの声を大切にして音楽活動を続けました。

しかし、度重なるスキャンダルや離婚、再婚などから「嫌いな女性ランキングに顔をだすことも。

好感度が真っ二つに分かれる女性と言えるでしょう。

デビュー曲「裸足の季節」

松田聖子のデビュー曲のタイトルはご存知でしょうか?

大ヒットした「青い珊瑚礁」がデビュー曲だと思っている方がいるかもしれません。

実は「青い珊瑚礁」は2枚目のシングルデビュー曲は「裸足の季節」でした。

洗顔料のCMで使用されましたが、アイドルでありながら映像には出演していません。

これには「裸足の季節」の歌詞やデビュー当時の状況に関係する深いワケがあるのです。

今回はデビュー曲「裸足の季節」の裏側にあった松田聖子の「軌跡と奇跡」を辿ります。

また、彼女自身と一致しない他人事のような歌詞もご紹介します!

「裸足の季節」の売上はスロースタート

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「裸足の季節」は1980年4月に7インチレコード盤でリリースされました。

1989年には8cmのCD、2004年には仕様を変えた12cmCDとして再発売しています。

「裸足の季節」を収録したアルバム14枚

彼女が起こした最初の「奇跡」を象徴するこの曲は、今も根強い人気を誇っています。

売上の出足はイマイチ?

後に「永遠のアイドル」と呼ばれることとなる松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」。

実はランキングも売上も松田聖子としてはかなり地味なものでした。

オリコンウィークリーは53位からのスタートだったのです。

人気に火をつけたのは歌声と顔!

CMに起用されたものの、松田聖子本人は映像に登場していません。

そのためCMソング透明感のある声=愛らしいアイドルの声と知られるまで時間がかかりました。

しかしここが合致すると一気に売上を伸ばし、「裸足の季節」はオリコン最高位12位に。

売上は最終的に30万枚ほどとなりました。

ちなみに、次のシングル「青い珊瑚礁」がミリオンを突破しています。

やはり松田聖子のデビュー曲として「裸足の季節」は地味だったといえるでしょう。

同時に、高い歌唱力や伸びる声、アイドルらしいルックスが認識された曲でもあるのです。

松田聖子自身が引き寄せた奇跡

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実は「裸足の季節」というタイトル、松田聖子のために変更された曲名です。

制作された当初のタイトルは「エクボの季節」。洗顔料「エクボ」のCMに合わせたものでした。

彼女のデビューまでの道のりを辿ると、変更のワケが浮かび上がります。

歌声に魅了された大人たち

歌手になりたい一心で多くのコンテストに応募していた松田聖子。

九州のアイドルコンテストで見事優勝し、全国大会への切符を手にしました。

しかし、両親は大反対!全国大会は辞退せざるを得なかったのです。

コンテストで松田聖子が歌ったのは桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」。

その歌声を聴いたCBSソニーのプロデューサーは彼女の才能を確信しました。

松田聖子の芸能活動が許されるか分からないのに、先に事務所を決めてしまったそうです。

そして事務所側とソニー側は連れ立って九州にある松田聖子の実家を訪問。両親を説得しました。

そこまでしてでも獲得したい逸材、それが松田聖子だったのです。