先ほど解釈した歌詞は、家の中での描写でしたが、ここからは外に出ているのがわかりますね。
しかし、考えるのは、やはり愛おしい人のこと。
町外れの火葬場から登る煙に、誰かの愛おしい人が、そして、誰かの深い悲しみが天に昇っていくことを想う。
そして、また自分と、自分の愛おしい人に考えは戻るのでした。
いつか尽きてしまう命なら、失って、もう手の届かないところに行ってしまってから祈る前に、そばに居られるうちにたくさん抱きしめたい。
そう思ったのでしょう。
魂には触れられない、それでも繋がりを信じて
血の味のしない
僕らの魂
手繰り寄せた手が震えていたんだ
寂しくなったよ
愛おしく思ったよ また
出典: 生者のマーチ/ 作詞:後藤正文 作曲:後藤正文
みなさんがこの部分で特に意味が気になる歌詞は「血の味のしない 僕らの魂」という歌詞でしょうか。
おそらく、血の通った肉体に対して、それとは別にある魂の存在を示唆しているのではないでしょうか。
もし自分が死んだら...という話を自分の愛おしい人にしたのでしょう。
青ざめる彼女の手をそっと握ると、その手は震えて居て、彼女の心にどっと押し寄せた寂しさを感じて、また愛おしく思ったのでした。
そうやって体温のある手を握ったりして、人はお互いの愛情を確かめ合ったりするものですね。
しかし、それができなくなってしまっても、きっと愛する人は心の中で生き続ける。
それは、お互いの魂が結びついているから。
そんなことを考えてしまう歌詞ですね。
いつか終わりが来るからこそ、今、生きていることを
そこにただ在るだけで
そのままぎゅっと引き寄せて
わけもなく抱きしめて
いつの日か こと切れて
朽ち果てるまで
出典: 生者のマーチ/ 作詞:後藤正文 作曲:後藤正文
いつも一緒にいると大切な人がそばにいるのが当たり前のように感じてしまうこともありますね。
しかし、何が起こるかわからないこの世の中で常に明日にはどうなるかわからないということを心の何処かに持っておかなければならない。
そして、愛おしい人が「そこにただ在るだけ」の、日常的で、奇跡的な事実を大切にしなければならないということですね。
その奇跡を抱きしめるように今日も愛おしい人を抱きしめよう、そんな想いが込められた歌詞でした。
おわりに
「生者のマーチ」は死を描くことで今生きていて、大切な人を抱きしめられる喜びを描いているのではないでしょうか。
筆者は解釈をしてそのように受け取りましたが、みなさんはどうでしたか?
とても深い歌詞なので、それぞれの解釈があると思いますが、少しでもこの魅力を伝えられていたら幸いです。
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