人生には諦めのつかないことが多くあります。
思わず拘ってしまい、他人にあきれられてしまうことも。
しかしこの曲ではとても肯定的にとらえています。
大事なものはとことん大事にする。
そう過去の経験から学んだのでしょう。
諦めずに追いかけることは人に欲をかいていると思われるかもしれません。
しかし、大切なものを失ってなお生きていくことは心に大きな傷を残すことになります。
他人にどのような評価をされてもかまわず追いかけなければならないことがある。
そう過去に零(こぼ)した雫(しずく)、つまり流した涙に教えられたのではないでしょうか。
それが次に出てくる”忘れちゃいけないこと”の1つなのでしょう。
そして最後にこの曲のタイトルでもある“ずっとずっとずっと”の言葉が綴られています。
”ずっと”というのは長い時間を表す、ある程度の継続性をもった言葉です。
1度でも2度でも多用したところで意味が変わることはありません。
3度繰り返してももちろん同じ意味になります。
しかしあえてずっとという言葉を3回繰り返すことで強く強調して表現しているのです。
それだけではなくこの曲が自己肯定というメッセージの曲と仮定した場合はどうでしょう。
単なる強調ではなく自分へ言い聞かせている、強い決意のようなものを感じてなりません。
自分を許すことも必要
流行りに流されない強さ
⼈類みな⼈の⼦でさ
⼤⼈とか⼦供とかじゃない
錯乱する流⾏りなんかに
負けてなんかいられないよ
そんな暇ないのに疲れてる
出典: ずっとずっとずっと/作詞:長屋晴子 作曲:長屋晴子
もちろん人は皆、人から生まれてきます。
忘れてしまいがちですが、はじめは全員子供です。
大人や子供に限らず平等に同じ権利をもっている存在。
それぞれに個性があり、互いに認め合うのは本来当然のことです。
しかし成長していくにつれ、そんな当たり前のことを忘れてしまう人がいます。
中にはトレンドを掴んでいないことを罪悪のように扱う人も。
古い新しいも含め、ひとときの流行りに流されることなど本来無意味なことです。
だからこそ“負けない”という強い気持ちが必要なのではないでしょうか。
個性を保つこと、人に合わせないということは簡単なことではありません。
逆に無個性でいること、人に合わせることは簡単なことでしょうか。
答えはNOだと思います。
人は元から1人1人が個性を持っており、開放することも抑えることも大変なことです。
そうしたことにある意味で“疲れ”を感じているのではないでしょうか。
皆が当たり前に持っているものを認められない世の中を皮肉的に“錯乱”と表現しているのでしょう。
ないものねだりでもいい
美味しそうに喉を鳴らして
ないものをねだってなんで泣いて
ほらもう⼤丈夫だよ
いい加減に許そうよグッバイ
出典: ずっとずっとずっと/作詞:長屋晴子 作曲:長屋晴子
隣の芝は青い。
他人の物は良く見えるというたとえの有名なことわざです。
人間の欲が深いという表現でよく使われます。
欲は人が生きている限りなくなることはありません。
それは生きていく上で必要なものが含まれるからです。
しかし過剰な欲望は人を幸せに導くことはないでしょう。
そうはいっても自分がもっていないものにあこがれる気持ちはそれほど特別な感情ではありません。
食べ物が欲しいと泣くほどねだったとしても、泣くだけのことであれば悪いことではないのです。
自分の欲の強さに気が付き自己嫌悪になることもあるでしょう。
しかし、それを隠さず認めているということはある意味良いことかもしれません。
自分の悪いところがあっても攻めすぎず、許してあげることもときには必要。
そして、そんな悪い自分とお別れをするという意味で“グッバイ”と最後に付け加えたのでしょう。
それなりの愛とは
感情の抑揚は一生の付き合い
気まぐれに波打つ感情が
上がる下がる下がる上がる
このうちのどれが本物か
分かってるんでしょ、ねえ
問いただすまでも、ない
⼀⽣の付き合いだなんて⾔って
可愛がってくんだずっと
出典: ずっとずっとずっと/作詞:長屋晴子 作曲:長屋晴子
感情はいつも一定ではありません。
理由もなく辛くあたってしまったり、必要以上に感情的になったりすることがあります。
しかしどれが本物の感情かなんて誰にもわかりません。
この曲では“わかってるんでしょ“と知っている人の存在を示唆しています。
これはもちろん自分自身への問いかけです。
自分自身の心と直接会話ができるのであれば、なぜその感情になったか教えてくれるでしょう。
ただそんなことを聞いても意味がありません。
その感情とは自分の個性そのものです。
分からなくても死ぬまでその気まぐれな感情と付き合っていくしかありません。
付き合っていく以上嫌わずに可愛がってあげるしかないのです。
たとえ悪い感情でもそういうものだと割り切っていくことが大切だと伝えたいのでしょう。
なぜ明日に希望はないのか
明⽇に希望はないや
それでもそれなりに愛しているよ世界
やり残してるあれやこれを
まだ何⼀つ⾒離せない
出典: ずっとずっとずっと/作詞:長屋晴子 作曲:長屋晴子
明日に希望はないという言葉。
これを素直に受け取るとあまり良い言葉ではありません。
しかし次の“それなりに愛してる”という言葉に全く絶望している訳ではないことが分かります。
それは歌詞の後半部分を見ても明らかです。
やり残しているものを見離せない。
見離すというの言葉はものごとへ見切りをつける時の表現です。
それをしないということはこれからも見続けることを表しているのです。
明日というのは未来のこと。
諦めないで見続けるというからには未来にもある意味の希望を見出していることになります。
世界とは現実の地球の全てのこととは思えません。
恐らく自分の中の世界、自分が見ている世の中のことでしょう。
いい変えると自分の視点を変えさえすれば見え方が変わってきます。
自分次第で世の中が変わる。
そんなことをつたえたいのではないでしょうか。