ゆっくりとひっかくように
あなたはいま、やるせない想いに苛まれている。恋人と別れたのか、信頼する友人に裏切られたのか、その行き場のない想いは、あなたの胸を苦しめ続ける。
ふと、横に置いてあるクッションに目がとまる。そのときあなたは、クッションを手にして、自分の感じている苦しみを表現してみようとする。そのときあなたは、そのクッションを床に叩きつけるだろうか。それとも、じわじわと圧し潰すのだろうか。
あるいはあなたの目の前に、白い壁が現れる。あなたはその壁に、想いをぶつけたくなる。そのときあなたは、目の前の壁を強く殴りつけるだろうか。それとも、ゆっくりとひっかくのだろうか。
まるでスルメを噛むように
「フジファブリック」というバンドの変遷
2000年に結成し、2004年に「桜の季節」でメジャーデビューを果たしたフジファブリック。
彼らは2017年10月現在、すでに19枚のシングルをリリースしている。十数人のメンバーの変遷を経て、現在のメンバーは、ギターとボーカルの山内総一郎、キーボードとコーラスの金澤ダイスケ、そしてベースとコーラスの加藤慎一というスリーピースの構成だ。
中毒性のあるスルメ曲「茜色の夕日」
通算6枚目のシングルのタイトル曲である『茜色の夕日』は、リリースと同時に、テレビ神奈川(tvk)の音楽情報番組、『saku saku』(サクサク)のエンディングテーマとして起用された。
もともとはインディーズ時代の楽曲だが、メジャーデビュー後にリリースされたこの曲の歌い方や曲調は、インディーズのころのものとは全く雰囲気が異なっている。
シングルに収められたボーカルとギターは、最初期の創立メンバー・市村正彦によるものだ。そしてこの曲は、ファンの間では「フジファブリック初期の名曲」、「中毒性のあるスルメ曲」と囁かれている。
ところで、「スルメ」とはどういうことだろうか?
思い出す「もの」に映し出される「こと」たち
単なる「モノ」ではない「もの」
茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B11310
曲の主人公である「僕」には、思い出す「もの」がある。それは、思い出す「こと」ではない。そこにある「もの」は出来事ではなく、出来事が映しだす影のことだ。
誰もいない道歩いた「こと」やどうしようもない悲しい「こと」のような「出来事」は、「もの」の中に映しだされるかのようになっている。
ここでいう「もの」は、単なる「モノ」ではない。
たとえば、思い出の「もの」とは、“小さいころにお父さんに買ってもらった”とか、“恋人にプレゼントされた”という、思い出の「こと」とつながっている「もの」であり、単なる商品としての「モノ」ではない。
もし誰かが、あなたの大切な「もの」をぞんざいに扱ったなら、あなたは嫌な気持ちになるだろうし、もしかしたら面と向かって抗議すらするかもしれない。
「僕」が思い出す「こと」は、例えば歴史上のひとコマのような、誰から見ても同じ単なる客観的な出来事などではない。それらは、「僕」にとってのかけがえのない「もの」たちとして、立ち現れてくる。