実は巧妙な言葉遊びが…
このバースでは前述したような心境が歌われています。
しかし、実はここに巧妙な仕掛けがしてあるのに気づきましたか?
「一巻の終わり」の「一巻」から「十巻」までが歌詞に隠されているんです。
順に歌詞を見ていくと、
「時間(二巻)」「参観(三巻)日」「予感(四巻)」「五感(五巻)」
「無冠(六巻)」「死ななアカン(七巻)」「発汗、夜間(八巻)」
「急患(九巻)」「実感(十巻)」
また、これは単なる言葉遊びではありません。
サビに出てくる「べしゃり暮らし」という歌詞。
この歌詞の原作は漫画であり、それに掛けたダブルミーニングといえます。
それでもステージに立つのはヤメラレナイ
ライブに出続ける
これまでステージに立つことへの葛藤を歌ってきたふたり。
しかし、こんな思いをしてまでなぜふたりはステージに上がり続けるのでしょうか。
曲もヒットし、ファンも付いてラジオ番組などのレギュラーも持っているふたり。
「分かっていてもライブは辞められない」そんな気持ちが歌われています。
ステージで「べしゃり続ける」ふたり
誰が待っていたって居なくたって
もうヤメラレナイ ヤメラレナイ
何遍だって また此処に
離れられない 離れられないぜ
UP&DOWN 繰り返し
逃れられない 逃れられない
分かっていたって また此処に
離れられない 離れられない
出典: 板の上の魔物/作詞:R-指定作曲:DJ松永
ふたりにとってステージは客がいようといまいと辞められない。
アーティストとして上がったり下がったりを繰り返しながら、今日もステージに立つ。
分かっていても明日もまたステージに立っているだろう。
自分たちとは切っても切り離せない「ステージ」という存在の大きさがわかります。
ステージの上のは「魔物」が潜む
ふたりはなぜ「板の上」から離れないのか
ステージ、つまり「板の上」はなぜこのようにふたりを離さないのか。
世の中にアーティストはごまんといる中、Hip Hopで上り詰めたふたり。
そこにはアーティストとしての音楽へのただならぬ思いや覚悟がありました。
屍を超えて頂点まで上り詰める
この板の上には魔物が潜むぜ
屍の山掻き分けて
お気張りやすbaby陽の目浴びるまで
べしゃりブリバリエブリデイ
泣くも笑うも己次第、相方(mymen)
末路憐れも覚悟の上
お気張りやすbaby陽の目浴びるまで
べしゃりブリバリエブリデイ
出典: 板の上の魔物/作詞:R-指定 作曲:DJ松永
Creepy Nutsのふたりを離さない「ステージ」。
そこには夢半ばで音楽を諦めた数多のアーティストの屍があります。
その思いも背負って、ふたりはステージに立ち続けるのです。
そんなステージには「魔物」がいる、とこのバースでR-指定は語ります。
売れて音楽で成功を収めても、ふたりは決して現状に満足しません。
陽の目を浴びるまでふたりはステージに上がり、「べしゃり」続けるのです。