似た顔や虚構にも、という歌詞からは、人間の恋の対象が様々である事を表している。似た顔は、誰に顔が似ているかって会話に出てくる俳優やアイドルの事で、虚構は2次元などリアルではないもののことだろうか。

人間は会ったことも会話をしたこともなくても、TVで見た人間に本気で恋することもあるし、触れることも喋ることも叶わない二次元の異性や、長年使い込んだ物に恋に似た感情を抱くことすらある。

その人間の恋という感情の出所の不確かさを歌っている。愛が生まれるのは一人から、という部分については夫婦を超えてゆけと共に考えいきたい。

夫婦を超えてゆけ
二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ

出典: http://j-lyric.net/artist/a0512cf/l03c609.html

さて、最後の考察はサビの度に出てくる夫婦を超えてゆけ、というフレーズについて。夫婦を超えいくとはどういった事だろうか、もちろんこの部分は逃げ恥の内容を踏襲し、特殊な関係にある二人が夫婦という関係をも超えてゆく事を指摘しているのだとも取れる。

しかしここではもう一歩踏み込んで考察をしていきたい。この部分を考える上で、先ほどの愛が生まれるのはという部分が生きてくるように思える。

つまり、愛というのは夫婦という関係から生み出されるものではなく、個人の感情であり、それを作るのは関係に囚われない個人のあり方である、という事を歌っているのではなかろうか。

そしてどんなものにもしてしまう恋を超えた先に、相手が自分を思っているのかどうかは関係のない無償の愛があり、恋を超えて愛にたどり着けという意味が込められている。

二人を超えてゆけは、夫婦という形に囚われずともこれはどんな関係においても言える事だというメッセージを感じ取れる。

そして最後のサビにだけ出てくる、一人を超えてゆけというフレーズ。これは先ほどの内容とは矛盾する事にもなるが、そうはいっても「愛」という感情は二人の関係性の中で育むものである。

一人から生まれる「愛」という感情を超えて、二人の関係の中での、「愛」へと育てていく、そんな究極の「愛」のあり方を最後に提示してこの曲は終わっているのだ。

恋 (通常盤)

最後に

愛の在り方について歌詞を紐解いてきて

「逃げるは恥だか役に立つ」の主題歌として書かれたこの曲、ドラマの内容を踏襲しながらも、恋と愛のあり方を提示するような、メッセージ性のある楽曲に仕上がっている。

歌詞の解釈は人それぞれだし、これが正解だとは決して思わない。自分のお気に入りの曲を深く考察するのは音楽の楽しみ方の1つだと僕は思うので、これを機に皆さんも自分なりの答えを見つけてみるのは如何だろうか。

それでは次の記事でお会いしましょう。

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