太陽が沈んでしまったら、もう何も見ることはできない。
本当にそうでしょうか?
太陽の光が無くなっても、空には星と月があります。
昼には昼の輝きがあるように、夜には夜の輝きがある。
それと同じように、大人には子供の頃とは違う、大人の輝きがあるはずです。
「もう間に合わない」と諦めたりしないで、今しか出会えない夢や輝きを探しにいきましょう。
子供の頃には見つけられなかったものも、今なら見つけられるかもしれません。
自分らしさが輝きに繋がる
自分らしく生きること。
きっとそれが輝きに繋がっているのでしょう。
痛みも悲しみも、すべての感情は自分らしさの中にあるものです。
そう考えれば、厳しい現実にも希望の光があるように思えてきませんか?
自分は自分にしかなれない
「あなたがまだあなたでいるから、わたしもわたしでいられる」
それならわたしも、もっとわたしで居ていたいと思えた
出典: 夢見心地で/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
鍵カッコの言葉は、きっと忙しい毎日の中で誰かに言われた言葉なのでしょう。
「あなたはあなた」そして「わたしはわたし」。
そんな当たり前のことさえ、大人になると忘れてしまいそうになります。
自分は自分にしかなれないし、他の誰かが自分になることもできない。
それなら精一杯自分という人間を輝かせるのが、人生というものなのではないでしょうか?
自分が自分らしく生きることで、誰かに勇気を与えることができるかもしれない。
輝きはちゃんと自分の中にある。
そのことに気づけたのなら、今度はまだ輝きを見失ったままの誰かに、それを気づかせてあげましょう。
夢を追いかける姿が輝いている
憂いや悩みを抱え込んでそれでも恋人たちは今日も歩いていく
水飛沫を上げ、また誰にも届かずとも歌を歌う鯨と
同じく新しい朝へと向かっている
出典: 夢見心地で/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
「憂いや悩みを~」の歌詞は、綺麗事ばかりでは生きられないということを歌っているのでしょう。
幸せそうに見える恋人たちだって、心の中にはきっと傷を抱えている。
社会の中で誰かと一緒に生きていくというのは、時に傷つけたり傷つけられたりするということです。
それでも私たちは、人と共に生きる道を選ぶでしょう。
不器用に足をばたつかせ、誰にも聞こえない声で想いを叫び、前へ前へと進んでいく。
そんな人々の様子を「水飛沫を上げ~」からの歌詞で表現しています。
輝くことは、楽になることではありません。
痛みも苦しみもすべて受け入れて、なお夢に向かって手を飛ばすこと。
その姿こそが、輝きなのだと思います。
輝く時間を再び手に入れよう
サビで歌われる「夢見る時代はもう過ぎた」。
この歌詞が胸に刺さった人も多いことでしょう。
しかし、夢を見るのに時代は関係ありません。
輝きは常に自分の中にある。
暗闇の中でいじけているなら、1歩踏み出して朝焼けを見にいきませんか?
何度でも走り出す
夢見る時代ならもう過ぎた
それでももう一度見た夢が心地良くて
裸のままあなたにただただ逢いたくて
きっともう一度だけ僕等も輝かしい時間があるのさ
出典: 夢見心地で/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
もう夢なんて見られない。
そう思っていたとき、不意に輝きを見つけました。
それを追い求めて、また走り出す。
輝きの先には、きっと「あなた」の姿があることでしょう。
「あなた」と会うときは、ありのままの自分でいたい。
もう一度、もう一度……。そう呟いて、私たちは何度でも走り出します。
時代も年齢も関係なく、「輝かしい時間」はすべての人に用意されているはずです。
思うがままに生きていこう
眩しい朝焼け あなたと見たいだけ
知らない街まで何も持たずに行きたいだけ
出典: 夢見心地で/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
長い夜が明けたなら、「あなた」と一緒に朝焼けを見よう。
眩しい光は、きっと私たちに夢を追いかける素晴らしさを教えてくれます。
余計なものはすべて捨て、思うがままに生きていく。
それを「知らない街まで~」の歌詞で表現しているのでしょう。
身軽な方が夢も追いかけやすい。
まだ見たことのない景色を求め、いつまでも輝き続けていたいですね。