teto「9月になること」とは?

「9月になること」はteto(テト)の1stミニアルバム「dystopia(ディストピア)」に収録されている曲です。

リーガルリリーのボーカル兼ギタリストのたかはしほのかさんをコーラスに迎えたことでも話題になった楽曲ですね。

まずは、収録作品である「dystopia」について紹介します。

tetoファーストミニアルバム『dystopia』について知りたい!

【teto/9月になること】切ない夏を感じる歌詞の意味を徹底解釈!MV&収録作品も紹介!の画像

バンド結成から約1年半の2017年8月30日に、発売されたファーストミニアルバムの『dystopia』。

これまで5曲入り自主音源と、6月にリリースされたHelsinki Lambda ClubとのスプリットCDのリリースのみだったtetoの、ファン待望のアルバムとなりました。

自主音源が記録的なセールスを叩き出し、スペースシャワーTVのパワープッシュに抜擢。

04 Limited Sazabysの山陰ツアーに誘われ、忘れらんねえよの柴田隆浩さんに推されるなど話題が絶えなかった彼らですが、その分周囲からの期待もとても大きかったはずです。

しかし、そのプレッシャーの中、出来上がったアルバムは圧巻の仕上がり。

リーガルリリーのたかはしほのかさんは、このアルバムの収録曲について全てに今まで聴いたことがないような新しさがあるとコメントしていました。

確かに、目が醒めるような新しさがある。

しかし、tetoの音楽には、新しさと同じくらい、懐かしい感じもあるんですよね。

ちょうど1990年代初頭のローファイ・ミュージックと呼ばれたような音楽性や、パンクっぽさなども共存している感じが、音楽好きのツボをついている一つの要因なのではないでしょうか。

そんな、tetoの魅力を遺憾なく発揮したアルバム『dystopia』から、「9月になること」を紹介します。

teto「9月になること」の歌詞を解釈!

さて、ここまで「9月になること」の収録作品である『dystopia』を紹介しましたが、音楽性を中心に解説してきました。

しかし、ボーカルの小池貞利さんが紡ぎ出す歌詞の世界観を抜きにしては、tetoの魅力は語りつくせないんです!

というわけで、ここからは「9月になること」の歌詞を解釈していきたいと思います。

忘れたくても忘れられない「言葉」とは...?

いらなくなったあの首振り固定の扇風機
買わなくなった安っぽい甘ったるいアイスキャンディー
8月になれば全て蘇る気がしたんだ 何もかもあたかも元通りになって

忘れたい筈のあの言葉だけは忘れない様に出来ている脳

出典: 9月になること/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利

ある夏の日を回想して始まるどこか懐かしさを感じさせる歌詞ですね。

「首振り固定の扇風機」や、今はもう買わないような「安っぽい甘ったるいアイスキャンディー」など、学生時代などしばらく前のことを思い起こしているようですね。

「8月になれば全て蘇る気がした」という歌詞からは、7月に何もかもを壊してしまうような「忘れたい筈の言葉」を言われる出来事があったことが読み取れます。

1ヶ月経てば忘れられない出来事を忘れてしまって「元通りに」なることを期待していたのに、「蘇る気がした」という歌詞からも、そうではなかったということがわかりますね。

忘れたいのに忘れられない「言葉」とは一体どんな言葉だったのでしょうか。

続きの歌詞を見ていきましょう。

忘れられない「言葉」とその意味がわかる歌詞...!

変わっていったあの白昼夢の堂々巡り
さらっていった揺れの不安定気な観覧車
9月にさえなれば全て笑える気がしたんだ
何もかも身も蓋も無い話になって

「南へと向かうあの人の影に私の足で追い付きたいの」

出典: 9月になること/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利

何も乗り越えられないままだった8月が過ぎて、「9月」の心情が歌われているのがこの部分の歌詞です。

相変わらず忘れることもできず、「白昼夢の堂々巡り」のように7月にあった出来事を思い出し続けている様子が描かれていますね。

しかし、そんな、全てが元通りにできないくらい壊れてしまったその出来事はここまで描かれてきませんでした。

そして、ここでやっとその出来事の姿が見えてきます。

「揺れの不安定気な観覧車」が「さらっていった」という歌詞から、誰かがこの曲の主人公の元からさらわれていったということが窺えます。

そして、そのあとの歌詞、 「南へと向かうあの人の影に私の足で追い付きたいの」という女性のものと思われる言葉。

これこそが、最初の歌詞で歌われていた「忘れたい筈のあの言葉」なのでしょう。

つまり、この曲の主人公の好きだった女性が、違う男性と付き合うことになってしまったということなのではないでしょうか。

「観覧車」でのデートが、その女性と男性が結ばれる大きなきっかけとなったことで、「観覧車」にさらわれたと表現したのです。

つまり、夏の始まりから9月になってもずっと、忘れたくても忘れられない、全てが崩れ去ってしまうような出来事とは、失恋だったのですね。

あなたの存在の大きさがわかる歌詞が切ない!

過ぎ去った夏が作り出した あの透き通ったあなたを思い出した
焼けた海岸線、割れた蛍光灯、汗ばんだ掌
過ぎ去った夏が作り出した ぶっきらぼうな夜を少し恥じた
あなたへの想い、声、恋、遠い距離が重なって重なって

錆びついていたあの日乗り捨てた白い自転車
漕がなくなった分、背負うものも減ったジレンマ

出典: 9月になること/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利

夏の日差しに「透き通った」ような眩しさを持つ「あなた」を夏が過ぎ去った9月になっても思い出すのでした。

「あなた」とはここまで歌われてきた、この曲の主人公が想いを寄せていた女性のことですね。

また、ある「夜」には「あなた」への想いのあまり素直になれず「ぶっきらぼう」になってしまったことも昨日のように思い出し、「少し恥じ」るのでした。

「あなたへの想い、声、恋、遠い距離が重なって」という歌詞からも、夏が過ぎ去ってもその想いから全く離れられずにいるのがわかりますね。

「あの日乗り捨てた白い自転車」は、もしかしたら「あなた」を後ろに乗せて走るのに使っていたのでしょう。

「あなた」を乗せて漕いでいた頃は、素直になれず、重いとか、面倒だとか文句を言っていたのかもしれませんね。

しかし、「あなた」が他の人のところへ行ってしまって、自分の後ろに乗ることもなくなった今。

楽になった反面「あなた」を「背負う」ことができていたという自分の居場所もなくなってしまったことで「ジレンマ」を感じているのでしょう。

「錆びついていた」「白い自転車」 は「あなた」とずっと一緒にいた自分、そして、「不安定気な観覧車」は「あなた」をさらっていった「彼」の象徴だったのです。

どちらも「自転車」も「観覧車」も回るし、乗るものですが、「観覧車」の方が女性にとって魅力的だというのは何となくわかるのが切ないですね。

「不安定気」という言葉を「観覧車」に付け加えたのは今までずっと一緒だった自分に対して、現れたばかりで彼女をさらった彼への妬みもあるのかもしれませんね。