GLAYについて

GRAYが結成されるまで

1988年、北海道函館市でTERU・TAKUROを中心に結成。その後TAKUROの高校時代の友人であったHISASHI、さらに上京後、地元が一緒で顔見知りだったJIROを加え1994年シングル「RAIN」でメジャーデビュー。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/GLAY

GRAYのメンバーは全員が雪国出身です。

TERUとTAKURO、JIROは北海道函館市の出身、HISASHIも青森県の出身です。

雪国で育つ人は冬の間室内で過ごすことが多いため、芸術に長けている・・・という話があります。

GRAYの楽曲歌詞が詩的で美しく、楽器の演奏は難易度の高いものが多いこと、メンバーの出身地を見れば納得ですね。

バンド名の由来

音楽のジャンルが黒(ロック)でもなければ白(ポップ)でもないという意味で、TAKUROがGRAY(英語で"灰色"の意)を考案し、ビートルズがバンド名を造語にしたことに因み、"R"を"L"とした

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/GLAY

作詞、作曲はこの人!

「ここではない、どこかへ/GLAY」の歌詞の意味に感動!コード&カラオケのコツも紹介☆収録情報も♪の画像

GLAY楽曲は主にTAKURO作詞、作曲を手掛けています。

伝説の20万人ライブ

「ここではない、どこかへ/GLAY」の歌詞の意味に感動!コード&カラオケのコツも紹介☆収録情報も♪の画像

ライブ会場で時差が発生?!

GLAYを語る上で欠かすことのできない伝説、それは1999年幕張メッセの駐車場を使って行われた20万人動員ライブです。

20万人というライブ動員人数は当時、単独アーティストが行ったコンサートとして国内最高人数を記録し、今でもこの記録は破られてはいません。

20万人ものファンが集結するとなると大変な状況で、TERUが「おーい」と呼びかけても観客の最後尾にその声が届くのには数秒かかったそうです。

そんな伝説のライブをJIROは後になって「ずっと笑いっぱなしだった」と振り返っていますから、メンバーはとても楽しんだのでしょう。

しかし、TERUは後に「音の環境が悪かったことを後悔している」と語っていますから、再び伝説の20万人ライブが開かれるのは難しいのかもしれません。

ここではないどこかへ

GLAYの幻の名曲

伝説のライブで初披露となったのが「ここではないどこかへ」です。

ライブの始まりから13番目に演奏された曲ですから、きっと会場の盛り上がりが最高潮に達した時に披露されたのでしょう。

この曲はシンプルで心地よいリズムと「頑張れ!」と応援してくれるような歌詞で非常に人気の高い曲です。

しかし、なぜかその後テレビやライブで演奏される機会が少なくファンの間では幻の名曲となっています。

歌詞の意味を解説

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どんな願いならばかなえられると言うのか?世の中でさえ信じてた頃
夢は無限にあるその全てを疑いもせず満たされていた許されていた

出典: ここではないどこかへ/作詞:TAKURO/作曲:TAKURO