映画主題歌として誕生
国民的人気を引き寄せた曲
1985年の活動休止から目覚め、88年に心機一転、再始動を果たしたサザンオールスターズ。
「さよならベイビー」はその翌年にリリースされた、通算26枚目のシングルです。
作詞・作曲は桑田佳祐。映画「彼女が水着にきがえたら」の主題歌として制作をオファーされたものでした。
そうして生まれたこの曲は、サザンがシングル売り上げの週間ランキングで初めて首位に立った作品でもあります。
78年のデビュー当時、サザンに対する世間のイメージは、いわゆる「コミックバンド」。
79年の「いとしのエリー」で音楽的評価が高まるも、25作目までのシングルは最高2位止まりでした。
活動休止の期間を挟み、デビューから40年もの歳月を経た現在。
世代を超え、多くのファンに愛され続けてい彼らの圧倒的な存在感は、言うまでもありません。
男女のすれ違いをイメージ
作曲に当たりイメージしたのは、主人公の男女がすれ違うシーンだったといいます。
事実、「さよならベイビー」というストレートなタイトルは、明らかに「別れ」を想像させるもの。
その歌詞もまた、別れの悲しみを描いた内容です。
しかし、その文脈には、単なる失恋ソングとは次元が異なる悲しみの表現、ストーリーが秘められています。
例えば、歌詞にはたった一度ながら二人称の「君」が登場しますが、自らを指す日本語の一人称はありません。
男性の歌い手が「僕」「俺」と口にしないことで、「君」と対峙する男性の輪郭は抽象性を保ちます。
その結果、悲しみの渦中にいるのは、まるで聴き手自身であるような感覚を生じさせることに。
それは、聴き手自身が口ずさんでみれば尚更。物語の世界に、強いシンパシーすら抱かせます。
この歌詞の驚くべき特徴は、これだけではありません。
メタファー(暗喩)に富んだ表現は、芸術作品としても高いクオリティーを誇っています。
1つのフレーズに、さまざまな解釈が成り立つ要素が含まれているのです。
詳しくは次章で解説しますが、その前に、注目するべき点を挙げておきます。
この曲のテーマは「別れ」ですが、歌詞には「別れ」はもちろん、タイトルの「さよなら」も見当たりません。
例えば読者の皆さんが、恋人と別れたとします。
その経緯を、日記などに綴ることを想像してみてください。
「別れ」「さよなら」という語句を一切使うことなく、事実をきちんと書き残すことができるでしょうか。
反対に、胸を締め付けるような悲しみを、「別れ」「さよなら」というフレーズだけで語り尽くせるでしょうか。
「さよならベイビー」の歌詞が、いかに緻密に練られたかということが分かります。
「戻れない乙女」が意味するもの
文学作品のようなセンス
消えた夏灯り 戻れない乙女
恋におぼれた日々は Oh oh
I don`t wanna tell you “So Long, Babe”
出典: さよならベイビー/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
歌詞の奥深さは、曲の冒頭から伝わってきます。
まず印象に残るのは、「戻れない乙女」というフレーズ。
それ自体に明確な意味はなくとも、ドキリとさせられる響きを持っています。
なぜでしょうか。
終わりを迎えたにせよ、それがただの淡い恋なら、乙女は乙女のままでいられたに違いありません。
しかし、その後の「恋におぼれた日々」という一節には、激しさを含むニュアンスが込められています。
さらに続くのは「別れを告げたくはなかった」という意味の、やはりワケありの英詞。
おぼれるほどの恋に落ちた2人。
そんな蜜月の関係が終わらざるを得なかった「何か」があったことがうかがえます。
「戻れない乙女」という、文学的センスを感じさせる言葉。
たった6文字のその言葉には、物語の先につながる深い意味が込められているのです。
「泣いたりしないで」の解釈
2つの意味が
泣いたりしないで 大人になれない
甘くて切ない Ah ah
ひまわりが揺れる夏なのに Loving you,Baby
出典: さよならベイビー/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
物語がさらに深みを増すのは、「泣いたりしないで 大人になれない」という歌詞。
その文脈からは、意味が相反する2つの解釈が成り立ちます。
1つは「泣いていたら、大人になれない」という意味。
もう1つは、「泣くことなしには、大人になれない」という意味です。
続く歌詞をたどっても、どちらが正解なのかは分からないまま。
そもそも「大人になれない」のは「君」なのか、それとも「自分」なのか。
歌詞のあちこちに、さまざまな解釈が成り立つ余地が残されています。
悲しみの感情が極まる物語を締めくくるフレーズは、「ひまわりが揺れる夏なのに」。
目に浮かぶのは、さざ波が寄せる浜辺よりも静かな夏の光景。
それまでの歌詞と何の脈絡もない、風にそよぐだけのひまわりの描写です。
見事なまでに浮かび上がったのは、恋におぼれた日々の残像のような虚しさです。