「人生が二度あれば」(井上陽水)

「人生が二度あれば」(井上陽水)の歌詞がとにかく泣ける!!歌詞の意味に隠されたエピソードとは!?の画像

井上陽水さんといえば「少年時代」や「リバーサイドホテル」といったヒットソングがまず思い浮かびますが、1stの曲「人生が二度あれば」は聴いたことがありますか?

この曲のすごいところは何といっても歌詞。今回は陽水さん自身のエピソードと併せて歌詞解釈をご覧いただくことといたしましょう。

フォークソングを聴く意義

楽曲紹介の前に、少々補足を。

「フォークソングってダサくない?」と思う方もいらっしゃるでしょう。たしかに最近のEDMやピコリーモのようなオシャレなサウンドに慣れている方にとっては、ちょっと物足りないかもしれません。

しかし音楽の歴史の一流派として、今もJポップなどに引き継がれているのがフォークソングの流れ。これをスルーして音楽好きは語れまい、そう筆者は自身に言い聞かせています。

そしてフォークソングの魅力は、アコースティックギター1本と歌だけでつくられていることにあります。シンプルな演奏にタイトにまとまった歌詞をのせているので、メッセージのしみこみ方が早くかつ深いのです。

筆者もフォークソングの素敵なフレーズをマメにメモしています。言葉の弾丸を増やすことにも役立ちますし、人生や親への愛など、バタバタした生活の中では意識しづらい命題に向き合うきっかけにもなるのです。

そしてギター1本で勝負するサムライ的な姿勢が、ダサいどころかむしろカッコいいと思いませんか?

歌詞の意味

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エピソード

高知県生まれの井上陽水さんは、お父様が軍医でした。お母様の地元は福岡で、お父様は移住して歯科医として開業。

陽水さんも父のあとを継ぐべく歯科医を志して大学受験するものの、二浪してしまいます。そして仕方なくミュージシャンとしての道を進むことになります。

父や母の期待に応えられなかった悔しさと、自分の教育と養いで貴重な人生を使わせてしまったことへの懺悔の気持ちが、この「人生が二度あれば」には詰まっているといえるでしょう。

気になる歌詞は?

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと
ゆとりができた

出典: https://twitter.com/nipponfolksongs/status/678623087101743105

父は仕事に生きる人で、定年を迎えてやっと時間に余裕ができました。

しかしすでに65歳。人間の平均寿命が85歳だとすると、人生はあと残り20年です。数字だけ見るとまだまだ時間はあるように思われますが、体力は若い頃からは激減しているという身体的老化を考慮しなければなりません。

父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37511

湯飲み茶碗に注がれたお茶の水面にうつる「シワがふえてゆくばかり」の顔。そこに「自分の人生は何だったのか」と自問する父の心理が想像できます。

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手
つけもの石を 持ち上げている

出典: https://twitter.com/barboramusic/status/11762597922

母は子育てと家事に生きる人でした。身体的老化で細くなった指で、重たいつけもの石を持ち上げています。

家事という終わりのないタスクをひたすら繰り返して年老いた母。彼女の人生も残り20年ほど。これからもずっと家事を続けて生きていくのでしょうか。

そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て
家族の為に 年老いた母

出典: https://twitter.com/barboramusic/status/11762597922

「人生がだれの為にあるのかわからない」のフレーズが胸にぶっ刺さります。人生の大半を家事や子育てに捧げる人生は、他者からみれば非常にはかない人生のように思われます。

とくに母の人生の大義とは、家族だけで本当によかったのだろうか。自分のために人生のすべてを捧げるべきではなかったのだろうか。そんなどうしようもない悲しみが心の根底で冷たく停滞します。

家族に捧げる第一の人生だけでなく、そのあとに自分のやりたいことを存分にやる第二の人生があればいいのに…と、親の人生のはかなさを悔やむ名フレーズです。

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる 夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば
人生が二度あれば この人生が二度あれば

出典: https://twitter.com/inoueyosui_bot/status/921563982112030720

とどめの一撃フレーズですね。

人間だいたい30代にもなればそう簡単に変わることができなくなる、という啓発もあります。たとえ夢があっても「こたつでお茶を飲み若い頃の事を話し合う」ことしかしなくなるのが、歳をとるということなのかもしれません。

もし人生が二度あれば、若い頃の夢をもう一度取り戻せるかもしれないのにそして、第二の人生で家族のためではなく自分自身のために生きることができたらいいのに。

他人の人生に言及する資格はわたしには一ミリもございません。それに誰かの生き方を批判したり捻じ曲げたりする意志も全くございません。しかし、「精神的に歳をとる」ということの恐怖と絶望を感じずにはおられないのです。

とくにそれが親だと、筆者のために精神的にも老いてしまったのだという悲しみが胸を覆うのです。