春風はいつも 強く吹いている
夢に沸き立つ 胸の奥から
命を燃やして キミが通るとき
桜も梅も急いで咲く
出典: 銀世界/作詞:熊谷和海 作曲:熊谷和海
厳しい寒さに包まれた銀世界を一変させる力は、結局は自分の中にあるということです。
引用歌詞の1~2行目が、そのことを教えてくれています。
何か大きな夢を持っているならば、そこからは雪を解かすほどの温かなものが溢れ出すのでしょう。
この楽曲は、「ましろのおと」をイメージして作られています。
この作品は、主人公の高校生・澤村雪が、三味線演奏における「自分だけの音」を探すのがテーマです。
すぐには叶いそうもない大きな夢や目標でも、それを心に抱いて進んでいくことが大切なのでしょう。
目標に向かって突き進むさまは時に、命を燃やすことにも例えられます。
そうやって進んできた道には、急激な変化も起こり得るのでしょう。
そのことを示唆する、物語ともリンクした歌詞といえます。
物語の世界観を強く感じられる歌詞
白紙の楽譜の如き明日に
刻め 足音 キミの交響曲 yeah
出典: 銀世界/作詞:熊谷和海 作曲:熊谷和海
「ましろのおと」というこの作品のタイトルには、実はダブルミーニングがあります。
この6文字に、作者はこんな意味を持たせたそうです。
タイトルには「ましろの音」と「ましろノート」(ノートは音符などの意)の2つの意味がある。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/ましろのおと
「ましろ」とは真っ新な状態と共に、主人公の雪のことをも指すのでしょう。
先ほど触れたように、彼は自分なりの三味線の音を探しています。
引用にあるように、タイトルには「ノート」や「音符」といった意味も含まれているようです。
これらは、楽器を演奏する上で欠かせないものでしょう。
「ましろのおと」という漫画自体が、物語の内容を如実に表しているといえます。
これらのことを踏まえて歌詞を見ると、こちらも負けず劣らず作品を反映しているのが分かるでしょう。
今日の中にあっては、明日がどうなるかは分かりません。
それはさながら、まだ音符の書き込まれていない楽譜に向き合うかのようです。
そこには少しの不安もあるでしょうが、それ以上に、どんな風にもできるというワクワク感があります。
真っ新な楽譜に自分の音楽を刻むよう過ごしていけばいいと、BURNOUT SYNDROMESは歌っています。
銀世界の過酷な一面
どんなことも、情熱があれば乗り越えられる!
そんな理想や希望に溢れた歌詞から一転、次に続くのは白銀の世界が持つ過酷な一面です。
何事も思ったままに進むばかりではないということを、教えてくれるような気がします。
迷いの中でも着実に進んでいく
針葉樹林の迷宮
彷徨っては また 元の位置に出る
堂々巡りの日々が
正解ルートを徐々に暴き出す
出典: 銀世界/作詞:熊谷和海 作曲:熊谷和海
こちらのパートの歌詞も、実に写実的な表現だと思います。
引用歌詞1行目は、どこか雪深い異国の風景さえ思わせないでしょうか。
同じ樹々と白い雪だけの風景はまさに、ルートを見出せない迷宮でしょう。
息を切らせて歩みを進めても、気付けば見たことのある場所に戻って来ているのです。
どんなことも時には、迷宮に入り込んだように、同じところを回っているように感じるのかもしれません。
同じ道を繰り返し通ることは、意味がないようにも思えます。
しかし、それもきっと無駄なことではないと、歌詞が伝えているのが分かります。
堂々巡りの意味は、引用歌詞の4行目が教えてくれるでしょう。
ただ同じ場所を回り続けるだけなのでなく、足は確実に先へと進んでいるのです。
時には死にたくなるほどの孤独を与えてくる
音すら凍る氷点下
叫べど 救助は望めない
理想 追い求む者はいつだって
凍えるほど孤独
出典: 銀世界/作詞:熊谷和海 作曲:熊谷和海
堂々巡りも、いつかは意味のあることをもたらしてくれるはずです。
そうはいっても、その道すがらは過酷を極めるのでしょう。
その気持ちはまるで、助けの来ない極寒の地に1人で放り出されるようなものです。
「ましろのおと」の主人公は、達成できる保証のない目標を掲げています。
自分だけの音を手に入れる方法は、誰にも分かりません。
しかし、それこそが彼の理想でもあるのです。
理想を渇望する者に、いつも太陽が微笑んでくれるとは限らないのでしょう。
風に身を任せて進みゆく
春風はいつも 強く吹いている
未来に竦む 背中を推す
火花を取らして キミが吠えるとき
穴熊達も洞を這い出す
出典: 銀世界/作詞:熊谷和海 作曲:熊谷和海
一生懸命であればあるほど、ふと、何が正解で間違いなのかが分からなくなる時があります。
そんな時は、風に吹かれるまま進むのもいいのかもしれません。
未来は漠然としていて、不安を与えるものでもあります。
それに怖気づいたとしても、背中を押してくれるものはきっとあるのでしょう。
気ままに背中を押されながらも、求めるものがあるならがむしゃらであることは忘れないはずです。
火花を散らすほどの情熱には、温かな洞の中に引き籠る者を引っ張り出す力さえあるのでしょう。