親から子供へと送るメッセージのようなこの歌詞

ずっと一緒にいたくても、親とは大体が子供よりも早く死んでしまうもので、それが一番自然で幸せなことなのだと思います。

しかし、子供をこの世に残すことは心配なことでもあるでしょう。

そんな時に「悲しみ」も「次のあなたへの橋」となり、未来への糧になればいいというメッセージは子供の幸せを祈る最高の言葉といえるでしょう。

そして、「遠い場所も繋がっているよ」とは、どんなに辛いことも、苦しいことも、自分の人生の道の上にある出来事は、必ず自分の未来に繋がっているということです。

偶然の出会いでも、一緒にいることで必然に変わっていく

出会いに意味などないけれど
血の色 形も違うけれど
いつまでも側にいることが
できたらいいだろうな

出典: https://twitter.com/a__k__oO/status/909763124290392064

生まれた瞬間は他人同士だった二人が、出会ったこと自体は決まっていたことでも、運命でもない。

しかし、「いつまでも側にいることができたらいい」と思える相手になり、家族になったことにより、その「出会いに意味」が生まれるといっているのでしょう。

「血の色 形も違うけれど」という歌詞には、家族には様々な形があることを認めた上で、「いつまでも側にいること」はどんな家族にとっても理想であり、大切なことではないかと言っているのです。

時代とともに移り変わっていく家族の形に対し、普遍的なことを説いているという、この歌詞のすごさを感じますね。

「祈り乗せて届けてくれないか」

遠きビルに日が跳ねて
帰り道を照らすように
街頭のメロディに
祈り乗せて届けてくれないか

出典: https://twitter.com/maririn_cello/status/898842676904075264

一番では家で子供の帰りを待つ親の姿が浮かぶような歌詞が歌われていたパートですが、二番では、きっと社会人になって会うことも減った子供のことを夕方に「遠きビルに日が跳ね」るのを見ながら思っている親の姿が浮かびます。

「街頭のメロディーに」乗せて届けたい「祈り」は、夕日が帰り道を照らしているように、もしかしたら社会に出て辛い思いをしているかもしれない子供が帰る道も、どうか照らしてあげてほしいという「祈り」でしょう。

言葉にしなくても、顔を合わせなくても、思っているという家族の温かさを感じます。

可能性を信じてほしいという親から子へのメッセージ

あなたは 何処でも行ける
あなたは 何にでもなれる

出典: https://twitter.com/maririn_cello/status/898842676904075264

「あなたは何処でも行ける」、「あなたは何にでもなれる」という歌詞は、親から子へ送るメッセージのような歌詞ですね。

この厳しい世の中で、生まれた瞬間から人生の勝ち負けが決まっていて、カードゲームに例えるなら手札の強さが最初から決まっているような感覚に陥ることもありますが、そうではないと言っているのです。

そして、そうではないと自分の子供に信じてほしいという気持ち、親の立場になると共感できるのではないでしょうか。

いつも笑っていてほしい、悲しみは糧になればいい

微笑みが一日でも多く側にありますように
涙の味は次のあなたへの橋になりますように
遠い場所も繋がっているよ

出典: https://twitter.com/sun120630/status/884822878432002048

「微笑みが一日でも多く側にありますように」という言葉には、いつも笑顔でいてほしいという意味があると同時に、いつも人々の「微笑みが一日でも多く側にありますように」という意味でもあるのでしょう。

そして、「遠い場所も繋がっている」とは何処までも続く無限の可能性を祈っているということでしょう。

おわりに

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星野源の「Family Song」の歌詞の解釈、いかがでしたか?

家族の幸せを願うこの歌詞を大切な人に送りたいですね。

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