雨の中一人行くあんた

出典: 何なんw/作詞:藤井風 作曲:藤井風

雨には浄化の意味があります。

雨上がりの空は透明感が増したように見えることがあります。

雨が降っている最中というのは、気持ちの整理をしている途中かもしれません。

ここでの歌詞はそんな雨の中、1人気持ちの整理をしている描写を描いているのでしょうか。

心の中でささやくのよ そっちに行ってはダメと
聞かないフリ続けるあんた
勢いにまかせて 肥溜めへとダイブ

出典: 何なんw/作詞:藤井風 作曲:藤井風

しかし、雨の中に待つのは気持ちの整理だけではありませんでした。

主人公は恋人の行く先に何かを見つけたのでしょうか。恋人の足を止めようとして語りかけます。

ですが主人公はすでに亡くなっている身。

声をかけても相手には聞こえませんし、相手の動きを止めたり遮る為の身体ももうありません。

けれどもどうにかして、相手に自分のこの思いを伝えようとしたのでしょう。

そういった目に見えない何かが私たちに何かを伝えようとした時。

時折身の回りで、本当に小さな不可解なことが起こったりもしますね。

守護霊などの「目に見えない」ものは、私たちのに語りかけると言われています。

「虫の知らせ」「直感」と表現されるものです。これら心の声はとても小さいことが多いです。

だから、「常識にそぐわない」「論理的でない」という理由で無視されてしまいます。

時には聞こえたことさえ気づかないほどの速さで、なかったことになってしまうのです。

主人公が恋人の心に送った虫の知らせも、ないがしろにされてしまいました。

その結果、恋人は歩いた勢いのまま損な展開に巻き込まれてしまいます。

ここで、「肥溜め」とはなんのことなのか考えてみましょう。

肥溜め(こえだめ、野壺(のつぼ)とも)は、伝統的な農業設備の一種。農家その他で出た屎尿を貯蔵し、下肥(しもごえ)という堆肥にするための穴または、大きめの水瓶。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/肥溜め

肥溜めは、地面に埋められています。

だからどこに埋められているのか知っていないと、穴の中に落ちてしまいます。

また比喩として、「いらないものの集積」「無駄なものの山」のように使われます。

肥溜めの中身は堆肥になるので、本来は役に立つのですが、時代の変化でしょうか。

歌詞の中で使われる「肥溜め」は、2種類の意味にとることができます。

1つ目は、そのままの意味で道の肥溜めに落ちてしまったという意味。

2つ目は、悲しみで我を見失った恋人が堕落してしまうという意味です。

悲しみに沈んで何も手につかないのでしょうか。

それとも、自己破壊的な行動を取っているの可能性もあります。

どちらにしても、主人公は危険から恋人を守ろうとしました。

恋人は、忠告の囁きに従うことができなかったようです。

大切にされない主人公 出てきた言葉は「何なん」

それは何なん
先がけてワシは言うたが
それならば何なん
何で何も聞いてくれんかったん
その顔は何なんw
花咲く町の角誓った
あの時の笑顔は何なん
あの時の涙はなんじゃったん

出典: 何なんw/作詞:藤井風 作曲:藤井風

主人公の言葉は伝わらず、もどかしい思いをしています。

そんなもどかしさを一言に凝縮したのが「何なん」でしょうか。

今までいろいろな話をしてきたこと。恋人が見せてくれたいろいろな表情や反応。

それらを信じていた気持ちが揺らいでいることが読み取れます。

愛する気持ちは変わらないのにつれなくされると、大きく動揺してしまいます。

主人公はそんな恋人に怒るでもなく、ただどうしたら良いか分からなくなっているようです。

確かにあの時恋人は、自分に花のほころぶような素敵な笑顔を見せてくれました。

けれど今思えば、その笑顔の意図がわからないのです。

なぜなら自分の信じていたはずのものが、小さなきっかけで大きく揺らいでしまったのですから。

同じようにあの時、自分の前で流した涙。

その涙は悲しみの涙だったのか、それとも違う感情の籠もった涙だったのか。

思い返せば思い返すほど、恋人のことが自分はわからなくなっていくのです。

大切なメッセージ 人生の歩み方

たまには大胆に攻めたら良い
時には慎重に歩めば良い
真実なんてもんはとっくのとうに
知っていることを知らないだけでしょう

出典: 何なんw/作詞:藤井風 作曲:藤井風

人間は生まれてくる前、すべてを悟っていると言われています。

目新しい経験をするために、自分が知っていることをあえて忘れてくるようです。

すべてを悟っているのなら、どうすれば楽しい人生が送れるかも分かっているはず。

それこそ、主人公が恋人に伝えたい真実ではないでしょうか。

すなわち、人生には段階と波があるというメッセージです。

陰陽、明暗、左右、上下というように、人生は二極から成っています。

生き急ぐだけでも、石橋を叩き続けるだけでもアンバランスです。

休みなしで駆け回れば、人は疲れてしまいます。

逆に刺激が少なすぎても、人は退屈してしまいます。

心のどこかでは分かっているのに、なかなかそれを実行するのは難しい。

そしてすべてを見失った気分になって、「どうしたら良いか分からない」と思いこむ。

先に亡くなってしまった主人公には、人間の特性がよく見えているのでしょう。

そして、人間が本当はすべて知っていることも気付いているはずです。

だから恋人にも、「すべて分かっているでしょ」と伝えようとしています。

それでも伝わらない 懇願へ

恋人には声が聞こえない

あれほど刻んだ後悔も
くり返す毎日の中で かき消されていくのね
真っさらになった決意を胸に
あんたは堂々と また肥溜めへとダイブ

出典: 何なんw/作詞:藤井風 作曲:藤井風

浄化の雨に打たれて、恋人も少しは気落ちが整理できたでしょうか。

けれど悲しいかな、人はどんなこともいつか忘れてしまう生き物です。

新しいことを決心したはずなのに、また「肥溜め」が出てきました。

人は良くも悪くも環境に影響を受けます

向上心のない人たちの中にいれば、自分の気持ちさえ挫けてしまうかもしれません。

大勢の中で、その大勢の流れに影響されないように過ごすのには意外と力が要るのです。

何かを決断したり、新しいことを始める決心をすることは言ってしまえば簡単です。

それよりもっと難しいのは、その時の強い思いを長い間持続させることでしょう。

ダイエットや勉強、運動やその他いろんな挑戦。

やるぞ!と意気込んでみたものの、いざ始めたら三日坊主で終わってしまった…。

そんな経験は、きっと誰しもが持つものではないでしょうか。

恋人がなにを決意したとしても、同じ場所にい続けることは問題かもしれません。

主人公はなすすべもなく、恋人の姿を見守り続けています。

本当は恋人を助けてあげたい、支えてあげたい、その決意を持ち続けるために背中を押してあげたい。

けれどこの世にいない自分にはもう、そうやって相手を助けてあげることはできないのです。